「アクティブラーニング」とは、教員が一方向に話す講義形式とは違い、学ぶ側が自分から参加する形を取り入れた教授・学習法の総称です。文部科学省の用語集は、そこに発見学習・問題解決学習・体験学習・調査学習を含めています。グループディスカッションやディベートは、そのうちの一部にすぎません。
ところが、いまの学習指導要領を開いてもこの言葉は一度も出てきません。小学校学習指導要領(平成29年告示)の全文336ページを検索すると「アクティブ」は0件で、代わりに「主体的・対話的で深い学び」という言い方が30回登場します。入れ替わった理由は、能動的な学びが否定されたからではありません。「話し合わせておけばいい」という特定の型として読まれることを、国の側が避けたかったからです。
アクティブラーニングという言葉は何を指すのか

日本語の公式な定義は、2012年に中央教育審議会がまとめた答申の用語集にあります。大学教育を立て直すための答申で、もともとは高等教育の言葉でした。
※ 中央教育審議会(中教審)とは、文部科学大臣の求めに応じて教育制度の方向性を審議し、答申としてまとめる国の会議体です。
文部科学省の用語集にある定義
答申の巻末に置かれた用語集は、この言葉をかなり広く定義しています。原文はこうです。
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。(中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」用語集、2012年)
出発点は「一方向的な講義形式とは異なり」
定義の重心は、前半の「一方向的な講義形式とは異なり」に置かれています。つまり何をするかではなく、何をしないかから輪郭を描いた言葉なのです。教壇からの説明だけで完結する時間を減らせば、その授業はもう定義の内側に入ります。
この書き方だと、あてはまる授業の幅がとても広くなります。あとで触れる「実施率97%」という数字も、定義がこれだけ緩いことと無関係ではありません。
グループワークは数ある手段のひとつ
用語集は続けて、発見学習・問題解決学習・体験学習・調査学習を例に挙げます。そのうえで「教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効な方法である」と添えました。順番に注目してください。話し合いは筆頭ではなく、最後に「も」を付けて並べられています。
一人で資料を調べて考えをまとめる調査学習も、立派にこの範囲に入ります。机を寄せなければ始まらない活動、というイメージは正確ではありません。
言葉が生まれたのはアメリカの大学
もとをたどると、1991年にアメリカで出た高等教育の報告書に行き着きます。大学の大教室で、学生がただ座って聞いているだけの授業をどうにかできないか、という問題意識から出た言葉でした。
ボンウェルとアイソンが1991年に置いた定義
チャールズ・ボンウェルとジェームズ・アイソンは、報告書のなかでアクティブラーニングを「学生が何かをし、自分がしていることについて考えること」と定義しました。日本語にすると素っ気ないほど簡単です。手を動かすことと、その手元を自分で眺めることが対になっています。
聞くだけでは足りない、という問題意識
二人は、学生が講義を聞いている間も頭は働いている、という反論をあらかじめ想定していました。そのうえで、読む・書く・議論する・問題を解くといった行為が要ると述べています。さらに分析や評価のような、答えを覚えるより一段上の思考に踏み込むことを条件に挙げました。
活動していれば良いわけではない——この釘は、最初の定義の時点ですでに刺さっていたわけです。
日本には大学教育の言葉として入ってきた
2012年の答申は、大学生の学びが受け身になっていることを課題として挙げ、その処方箋のひとつにこの言葉を据えました。だから定義にある「学修者」は、小学生ではなく大学生を指しています。
小中高へ降りてきたのは、その2年後です。2014年11月、文部科学大臣が中教審に学習指導要領の改訂を諮問した際、この言葉が初等中等教育の議論の中心に持ち込まれました。大学の言葉が学校現場へ輸入されるまで、わずか2年しかかかっていません。
なぜ学習指導要領からこの言葉が消えたのか

2016年12月21日、中教審は新しい学習指導要領のもとになる答申を出しました。246ページのこの文書が、言葉の扱いを大きく変えます。
本文に0回、置き換えの言葉は30回
改訂された学習指導要領そのものを読むと、落差がはっきり見えます。
336ページを検索した結果
小学校学習指導要領(平成29年告示)の本文で「アクティブ」を検索すると、ヒットは0件でした。一方「主体的・対話的で深い学び」は30回出てきます。総則には「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して資質・能力を育む」という表現が置かれ、それが各教科へ繰り返されていく構造です。
この指導要領が告示されたのは2017年3月です。全面実施は小学校で2020年度、中学校で2021年度と進み、高校は2022年度から始まりました。いま学校で使われている基準に、カタカナの表記は残っていません。
「方法」ではなく「視点」という位置づけ
2016年の答申は、言葉を捨てたわけではありませんでした。本文では、諮問で提示されたアクティブ・ラーニングについて「子供たちの『主体的・対話的で深い学び』を実現するために共有すべき授業改善の視点として、その位置付けを明確にすることとした」と書いています。
授業の型ではなく、授業を見直すときのレンズ。この格下げにも格上げにも見える整理が、言葉の運命を決めました。
答申が名指しで警戒した二つの失敗
なぜそこまで慎重になったのか。答申は、想定される失敗を具体的に書き出しています。
「活動あって学びなし」と批判される授業
ひとつは、学習活動を子どもの自主性だけに委ねてしまい、成果につながらない形です。答申はこれを「活動あって学びなし」と批判される授業と呼びました。国の文書としてはかなり強い言い方で、現場で実際に起きていた失敗を拾い上げた表現だと読めます。
指導の型をなぞるだけの授業
もうひとつは、特定の教育方法にこだわるあまり、型をなぞるだけで意味のある学びにつながらない形です。答申は、教育の質を高める取り組みが「狭い意味での授業の方法や技術の改善に終始するのではないか」という懸念が議論の過程で出たことも書き残しています。
カタカナ語が独り歩きすれば、「アクティブ・ラーニング型の授業」という新しい型が生まれてしまう。その予感が、言い換えの背中を押したと考えられます。
消えたのは言葉で、考え方は残った
答申は「主体的・対話的で深い学び」を説明する箇所で、「生涯にわたって能動的(アクティブ)に学び続けるようにすること」と書いています。括弧のなかに、もとの言葉がそっと残されました。
つまり撤回ではなく、翻訳です。教育雑誌や研修の場でいまも「アクティブラーニング」が使われるのは、間違いというより、言い換え前の呼び名がそのまま生き延びているからだと考えたほうが実情に近いでしょう。
「主体的・対話的で深い学び」の三つはどう違うのか

三つ並んでいると、似た言葉の言い換えに見えてしまいます。答申はそれぞれに別の中身を与えており、まとめると次のようになります。
| 視点 | 問われていること | 教室での現れ方 |
|---|---|---|
| 主体的な学び | 見通しを持って粘り強く取り組み、振り返って次につなげているか | 学習計画を自分で立て直す、身についた力を自分で言葉にする |
| 対話的な学び | 他者との対話を通じて自分の考えを広げ深めているか | 友達・教職員・地域の人との議論、先哲の考え方を手掛かりにする読書 |
| 深い学び | 各教科の「見方・考え方」を働かせ、知識を関連づけて理解しているか | 観察結果から問題を見いだす、情報を精査して考えを形づくる |
主体的な学びは見通しと振り返りで測る
三つのうち、もっとも誤解されやすいのがここです。積極的に発言する姿と、主体的な学びは同じものではありません。
自分で学習を調整できているか
答申が挙げるのは、興味を持って取り組む姿だけではありません。学習活動を自ら振り返って意味づけたり、身についた力を自覚したりするところまでが含まれます。途中で進め方を見直せること——いわば学習の自己調整が中身です。
挙手の回数やノートの取り方では測らない
評価の話になると、答申はさらに踏み込みます。「主体的に学習に取り組む態度」という観点は、挙手の回数やノートの取り方などの形式的な活動で評価するものではない、と明記しているのです。従来の「関心・意欲・態度」が性格の印象で採点されていないか、という長年の指摘を受けて名称ごと変えた経緯も書かれています。
手をよく挙げる子が高く評価される——その構図を崩すための改訂でもあったわけです。
対話的な学びの相手は同級生だけではない
答申が挙げる対話の相手は、子ども同士だけではありません。教職員や地域の人との対話、そして先哲(せんてつ)の考え方を手掛かりに考えることも、同じ枠に入っています。
本を読んで書き手の考えと向き合う行為が「対話」に含まれる。そう読むと、静かな読書の時間も対話的な学びになりえます。脚注では、受け身の読書にとどまらず情報を主体的に読み解く読書の重要性にも触れています。
深い学びは知識を関連づけられたかを問う
三つ目がいちばん抽象的で、現場でも説明に苦労する部分です。鍵になるのは「見方・考え方」という言い回しになります。
教科ごとの「見方・考え方」を働かせる
理科なら観察や実験から因果を探る目。社会科なら出来事を時間と空間で捉える目。教科にはそれぞれ固有のものの見方があります。深い学びとは、習得・活用・探究という流れのなかでその目を働かせ、知識をばらばらに覚えずつなげていく状態のことです。
三つは一体だが視点としては別もの
答申は、この三つが子どもの学びとしては一体に実現されるとしたうえで、授業改善の視点としてはそれぞれ固有だと念を押しています。だから「話し合わせたから対話的、調べさせたから深い」と数え上げるような使い方は想定されていません。三つの間のバランスに配慮しながら、単元というまとまりで学びの状況を見ていく。それが答申の求める確かめ方です。
教室では具体的にどう実践するのか

理念の話が続きましたが、実際の授業に落とすと、案外なじみのある形に落ち着きます。
よく使われる手法の顔ぶれ
代表的なやり方を並べてみましょう。
- グループディスカッション:テーマについて話し合い、意見をまとめる
- ディベート:賛成・反対の立場を割り当てて論じ合う
- ジグソー法:別々の内容を分担して調べ、持ち寄って全体を完成させる
- ピアレビュー:他の人の発表やレポートに評価と助言を返す
- 問題解決型学習(PBL):現実の課題を題材に解決策を考える
※ PBL(Problem Based Learning/問題解決型学習)とは、答えの決まっていない課題を軸に据えて、調査や試作を重ねながら学ぶ進め方のことです。
探究学習やPBLとは層が違う
探究学習やPBLは、アクティブラーニングと並べて語られがちです。ただ、指している層が違います。アクティブラーニングが授業の進め方を指すのに対して、探究学習やPBLは学習そのものの枠組みを指す言葉だからです。
歴史の授業に討論を取り入れるのは前者。地域の歴史を調べて発表するまでを一つの単元として組むのは後者にあたります。枠組みの中身を作る段階で、進め方としてのアクティブラーニングが使われる。そう捉えると関係がほどけます。
ジグソー法が持つ仕掛け
ジグソー法では、一人ひとりが違う資料を担当します。自分が持ち帰らないと班の絵が完成しないため、黙って座っている選択肢が構造的に消えるのが特徴です。話し合いを呼びかけるのではなく、話さざるをえない設計にしている点がうまくできています。
目的・役割・振り返りが欠けると崩れる
どの手法にも、外せない三つがあります。何のために行うのか。誰が何を担うのかという役割。そして終わったあとに何を振り返るか。ここが曖昧なまま走ると、ただの雑談の時間になってしまいます。先ほどの「活動あって学びなし」は、まさにこの三つが抜けたときの姿です。
新しい時間を確保しなくてもできる
「授業時間が足りない」という声に対して、答申は先回りして答えを書いています。
国語の言語活動も理科の観察・実験も含まれる
答申は、地域課題の解決のような目立つ活動だけを指すのではない、とわざわざ断っています。例として挙がるのは次の顔ぶれです。国語などの言語活動。社会科で課題を追究し解決する活動。理科の観察・実験。体育の運動課題の解決。美術の表現や鑑賞。ほとんどの授業ですでに行われているものばかりでしょう。
いまある活動の質を上げるという発想
答申はこう続けます。今までの授業時間とは別に新たに時間を確保しなければできないものではなく、現在すでに行われている活動を「主体的・対話的で深い学び」の視点で改善していけばよい、と。新しい行事を足すのではなく、いつもの実験の組み立て方を変える。そちらが本筋だという整理です。
一人一台の端末が変えたこと
GIGAスクール構想によって、小中学校では一人一台の端末が行き渡りました。当初は2023年度までの計画でしたが、コロナ禍で前倒しされ、2020年度から2021年度にかけて一気に整いました。いまは更新の段階に入っています。
※ GIGAスクール構想とは、児童生徒に一人一台の端末と高速な通信環境を整えるための国の施策です。2019年度に始まりました。
端末が効くのは、考えを可視化して共有する場面です。全員の意見が同時に画面へ並ぶと、発言の早い子に場が持っていかれにくくなります。ただし道具が視点を肩代わりしてくれるわけではありません。使ったかどうかと、深く学べたかどうかは別々に確かめる必要があります。
効果を示す数字はあるのか

ここまで理念の話が続きましたが、成績が本当に動くのかは気になるところでしょう。大学教育の分野には、規模の大きな検証があります。
225本の研究を集めたメタ分析
2014年、ワシントン大学のスコット・フリーマンらが米国科学アカデミー紀要に発表した研究があります。理系科目の授業を、従来型の講義とアクティブラーニングで比べた225本の研究を集めて分析したものです。
※ メタ分析とは、同じテーマを扱った複数の研究の結果を統計的に束ね、全体としてどちらに傾くかを調べる手法のことです。
試験の点は平均6%ほど上がった
試験や概念理解テストの成績は、アクティブラーニングを取り入れた授業で0.47標準偏差ぶん高くなりました(158本の研究)。論文は、これを平均して6%ほどの得点上昇にあたると説明しています。小さな差に見えるかもしれませんが、授業の進め方を変えただけで動いた数字です。
落第率は講義型のほうが1.5倍
より大きな差が出たのは落第率でした。67本の研究をまとめると、従来型の講義を受けた学生が単位を落とす確率は1.5倍。落ちこぼれを減らす方向に効いたわけです。論文は、講義型を対照群として使い続けることに疑問を投げかけるところまで踏み込んでいます。
数字を広げて読まないための注意
ただし、この結果をそのまま日本の小中学校に当てはめるのは早すぎます。対象は大学の理数・工学系科目で、日本の教室とは学ぶ内容も年齢も違うからです。
論文自身も、効果は学級規模によって差があり、50人以下の少人数でもっとも大きかったと報告しています。40人学級で同じ効果が出るとは書かれていません。強い証拠があることと、どこでも同じように効くことは別の話です。
日本の大学での実施率は97%
国内の広がりは、文部科学省の調査から読み取れます。令和5年度の「大学における教育内容等の改革状況について」は、792大学を対象に786大学から回答を得たものです。
ほぼすべての大学が「やっている」と答える
「能動的学修(アクティブ・ラーニング)を取り入れた授業を実際に行っている」と答えたのは739大学、率にして97%でした。カリキュラム編成の工夫のなかで最多の項目です。令和元年度の707大学(約95%)からさらに伸びています。
ほぼ全部、という数字は心強くもあり、同時に物足りなくもあります。冒頭で触れたとおり、定義が「一方向の講義とは違う」という引き算で書かれている以上、ほとんどの大学が該当してしまうからです。
企業と組んだPBLになると45%まで下がる
手間のかかる形に限ると、景色が変わります。同じ調査で、企業等と連携して課題解決や製品開発を題材にした授業科目を開いている大学は344大学、約45%にとどまりました。教育課程の外で同種の特別講義を行う大学は167大学、約22%です。
97%と45%の開き。ここに、言葉の広さと実践の厚みのずれが数字として出ています。
うまくいかない教室では何が起きているか

理念も証拠もそろっていて、なお難しい。現場で指摘される詰まりどころは、だいたい三つに整理できます。
話す子と黙る子に分かれてしまう
参加を前提にした授業は、参加できる子に有利に働きます。発言に慣れた数人が場を引き取り、残りは相づちを打つ役に回る。その形が固定すると、能動的な学びのはずが、格差を広げる装置に変わってしまいます。
先ほどのジグソー法のように、役割を配って黙っていられなくする設計が効くのはこの場面です。声の大きさに頼らない仕組みを、授業の側に埋め込んでおく必要があります。
教員の準備と評価にかかる負担
一斉授業に比べ、設計にも評価にも手間がかかります。班での成果をどう個人に割り振るか、一人ひとりの思考の深さをどう見取るか。正解のない問いが増えるぶん、採点も簡単には終わりません。
答申が「主体的に学習に取り組む態度」を単元のまとまりで見るよう求めたのも、一回の授業では判断できないという前提があるからでしょう。時間の確保そのものが課題になります。
目的と手法が入れ替わるとき
もっとも起きやすいのが、手法の導入それ自体が目標になってしまう状態です。研究授業でディベートを入れる、端末を使う、付箋を貼る。形は整っても、その活動でどんな力を育てたいのかが言えなければ、答申が心配した「型をなぞるだけ」に近づきます。
なお、高校の授業を縛ってきた大学入試のほうは、当初の構想どおりには進みませんでした。思考力を測るとされた記述式問題と英語民間試験の活用は、2021年7月に文部科学省が正式に断念を表明しています。入試が変わるから授業も変わる、という筋道はいったん途切れた形です。
学習定着率のピラミッドという有名な図の出どころ

アクティブラーニングの研修に出ると、高い確率で登場する図があります。ラーニングピラミッドと呼ばれる三角形です。
「講義は5%、人に教えると90%」という数字
三角形の上から順に、講義5%・読書10%・視聴覚20%・実演30%・グループ討論50%・自ら体験75%・人に教える90%。学習内容の定着率だとして、能動的な学びほど下に置かれています。話し合いや教え合いを勧める場面で、これ以上ないほど都合のよい図でしょう。
根拠となる論文が見つからない
ところが、この数字の出どころをたどると行き止まりになります。国立教育政策研究所教育図書館は、レファレンス協同データベースに寄せられた同じ問いに対して、調査のすえ「パーセンテージが表記された根拠となる論文は見つけられなかった」と回答しています(2015年1月)。
元になったとされるエドガー・デールの1946年の著作にあるのは「経験の円錐」という図で、定着率の数字は載っていません。出典としてよく挙がるアメリカの研究機関についても、出版年などの情報が確認できないとされています。
主張は正しく、図だけが宙に浮いている
皮肉な話です。能動的に学ぶほうがよく身につく——その主張自体は、前に見たメタ分析のように、きちんとした検証で支えられています。にもかかわらず、その説明にいちばん使われてきた図だけが、根拠を欠いたまま出回ってきたことになります。
言葉が入れ替わり、図の根拠が揺らいでも、教室でやることは変わりません。子どもが自分で見通しを立て、誰かの考えに触れ、覚えた知識をつなぎ直す。国が10年かけて言い方を探し続けたのは、この地味な中身を「型」にしないためでした。だとすれば、よい授業かどうかを分けるのは活動の派手さではありません。その活動が終わったあとに、子どもが何を振り返れたか。能動的だったかどうかは、挙がった手の数ではなく、そこに現れます。
参考
- 中央教育審議会「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて(答申)」用語集(平成24年8月)
- 中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」(平成28年12月21日)
- 文部科学省「大学における教育内容等の改革状況について(令和5年度)」
- Freeman et al. “Active learning increases student performance in science, engineering, and mathematics” PNAS 111(23), 2014
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