健康診断や糖尿病の説明で「ランゲルハンス島」という言葉を耳にしたことがあるかもしれません。海にも地図にも出てこないのに、なぜか「島」と呼ばれる体の一部です。答えを先に言うと——顕微鏡で膵臓(すいぞう)をのぞいたとき、まわりと違う細胞のかたまりがほんとうに島のように点々と浮かんで見えるからです。
その「島」で作られているのが、血糖を下げる唯一のホルモン・インスリン。名前の由来をたどると、一人の若い医学生と、二十数年後にその名を刻んだ研究者の物語が見えてきます。
まず答え——膵臓の中に「島」のように散らばっているから

顕微鏡の視野いっぱいに広がる膵臓の組織の中で、そこだけ色の違う細胞の群れがぽつり、ぽつりと現れます。周囲の「海」から浮き上がって見えるそのかたまりが、ランゲルハンス島です。問いへの答えを先に一覧にしておきます。
| 問い | ひとことの答え |
|---|---|
| なぜ「島」? | 消化液を作る組織の中に、別種の細胞が島のように散らばって見えるから |
| 誰が見つけた? | ドイツの医学生パウル・ランゲルハンス(1869年、学位論文の中で) |
| 誰が名づけた? | フランスのラゲス(1893年)が、発見者の名にちなんで命名 |
| 何をする島? | インスリンなど、血糖を調節するホルモンを血液へ送り出す |
| 別の呼び名は? | 膵島(すいとう)とも呼ばれる |
なぜ「島」に見えるのか——膵臓は”消化液の海”

島に見える理由は、膵臓という臓器の成り立ちにあります。膵臓の大部分は、まったく別の仕事をする組織で埋め尽くされているのです。
膵臓の九割は「消化液の工場」
本業は膵液を腸へ送ること
膵臓の九割以上は、消化液である膵液を作って腸へ送り出す「外分泌」の組織が占めています。脂肪やたんぱく質を分解する酵素を、細い管を通じて十二指腸へ流す工場のような部分です。ランゲルハンス島は、この工場の敷地の中にまぎれて存在しています。
※ 外分泌(がいぶんぴつ)とは、作った物質を管を通して体の外側(消化管の中も含む)へ出すしくみのことです。汗や唾液、涙も外分泌にあたります。
その海に、別種の細胞がぽつぽつ
ところが、この外分泌組織の”海”のところどころに、管につながっていない細胞のかたまりが混じっています。膵液を作る細胞とは、色の染まり方も並び方も別もの。まわりから明らかに浮いて見えるかたまりです。これを後の研究者は「島」と呼びました。地図の島が海に囲まれているように、細胞の島も消化液を作る組織に囲まれているわけです。
淡く染まる、0.1ミリの点
染色すると周囲と色が違う
組織を顕微鏡で見るときは、色素で染めてから観察します。すると膵液を作る細胞は濃く、島の細胞は淡く明るく染まります。この色の差こそが、島を島として際立たせる目印。発見者が最初に気づいたのも、まさにこの「まわりと違う染まり方をする明るい細胞の集まり」でした。
大きさは0.1〜0.3ミリの粒
一つひとつの島はとても小さく、直径はおよそ100〜300マイクロメートル、つまり0.1〜0.3ミリほどです。肉眼ではまず見えない粒。それでも数はたいへん多く、膵臓1ミリグラムあたり10〜20個、全体では100万個以上あるとされています。体積でみれば膵臓のわずか1〜2%程度で、まさに広い海に浮かぶ小さな島々です。
名づけたのは発見者本人ではない——ランゲルハンスとラゲス

「ランゲルハンス島」という名前は、発見者の名字から来ています。ただし、その名を付けたのは発見者自身ではなく、二十数年あとの別の研究者でした。
見つけたのは21歳の医学生
1869年、学位論文の中で
島を最初に記録したのは、ドイツのパウル・ランゲルハンス(Paul Langerhans、1847〜1888)です。1869年、まだ21歳ほどの医学生だった彼は「膵臓の顕微鏡的解剖」と題した学位論文を書きます。その中で、膵臓のあちこちに散らばる淡い細胞の集まりを記録します。指導していたのは、細胞病理学で名高いルドルフ・ウィルヒョウでした。
ただし「役割」はわからなかった
もっとも、若きランゲルハンスは、この細胞が何をしているのかまでは突き止められませんでした。存在を正確にスケッチして書き残す——そこまでが彼の仕事です。血糖を調節する大切な組織だと明らかになるのは、ずっと後のことになります。
24年後、名前がついた
1893年、ラゲスが命名
この細胞群に「ランゲルハンス島」という名を与えたのは、フランスの組織学者エドゥアール・ラゲス(Édouard Laguesse、1861〜1927)です。1893年、彼は発見者の功績をたたえ、その名字を冠して島と呼びました。名前が付いたことで、それまで漠然としていた細胞のかたまりが、研究の対象としてはっきり輪郭を得たのです。
「血糖を左右する島では」という慧眼
ラゲスの功績は、名づけだけではありません。彼はこの島が、血液に何らかの物質を送り出す「内分泌」の器官ではないかと推測しました。管を通さず血液へ直接ホルモンを出す、という見立てです。これは後にインスリンの発見へとつながる、鋭い予想でした。
※ 内分泌(ないぶんぴつ)とは、作った物質(ホルモン)を管を使わず血液の中へ直接放出するしくみのことです。外分泌が「管あり」なのに対し、内分泌は「管なし」と覚えると区別しやすくなります。
島は何を出しているのか——4種類の細胞

小さな島の中には、役割の違う細胞が同居しています。血糖を下げたり上げたりする、いわば体の血糖コントロール室です。
主役はβ細胞のインスリン
血糖を下げる唯一のホルモン
島の細胞のうち、およそ7〜8割を占めるのがβ細胞(ベータさいぼう)です。ここから出るインスリンは、食事で上がった血糖を筋肉や肝臓に取り込ませ、血液中の糖を下げる働きをします。血糖を下げるホルモンは体の中でインスリンだけ、という点でも特別な存在です。糖尿病は、このインスリンが足りなくなったり効きにくくなったりして起こります。
島がインスリンの製造現場
血糖を下げる仕組みが、膵臓のこの小さな島に集中している。だからこそ、ランゲルハンス島は医学の世界でくり返し名前が出てくる場所になりました。膵臓というと消化のイメージが強いですが、体の血糖を守る司令室でもあるわけです。
血糖を上げ下げする脇役たち
α細胞は逆に血糖を上げる
島にはインスリンと反対の働きをする細胞もあります。α細胞(アルファさいぼう)が出すグルカゴンは、血糖が下がりすぎたときに肝臓の糖を放出させ、血糖を上げます。下げるインスリンと上げるグルカゴンが同じ島に同居し、綱引きのように血糖を一定に保っているのです。
そのほかの細胞も同居
島の中では、ほかの細胞もそれぞれ役割を担います。主な顔ぶれを下の表にまとめました。
| 細胞 | 出すホルモン | おおよその割合と働き |
|---|---|---|
| β細胞 | インスリン | 7〜8割。血糖を下げる |
| α細胞 | グルカゴン | 2割前後。血糖を上げる |
| δ細胞 | ソマトスタチン | 数%。他のホルモン分泌を調整 |
| PP細胞 | 膵ポリペプチド | ごく少数。消化などに関与 |
「インスリン」という名前も”島”から来た

おもしろいことに、島から出るホルモンの名前も「島」に由来します。インスリンという言葉のもとをたどっても、やはり同じ場所に行き着きます。
ラテン語のinsula=島
島から出る物質、という発想
インスリン(insulin)は、ラテン語で「島」を意味する insula(インスラ)から作られた名前です。ランゲルハンス島から分泌される物質だから「島の物質」と呼んだわけです。ホルモンの名前そのものに生まれた場所が刻まれているのは、なかなかめずらしいこと。
物質が見つかる前に名前があった
この名づけには、少し意外な順番があります。イギリスの生理学者シャーピー=シェーファーは、島から血糖を下げる物質が出ているはずだと予想し、1910年代のうちに「インスリン」と名前だけを先に付けていました。実際にこの物質が取り出されたのは1921年、カナダのバンティングらによってです。つまり、姿を現す前に名前だけが用意されていた、珍しいホルモンなのです。
豆知識——体の中に「ランゲルハンス」は二つある

最後に、名前にまつわる小さな驚きを一つ。じつは体の中には、「ランゲルハンス」と名のつく場所がもう一か所あります。しかも、名づけのもとは同じ人物です。
皮膚にもランゲルハンスがいる
膵臓の前年に見つけた皮膚の細胞
パウル・ランゲルハンスは、膵臓の島を記録する前年の1868年、皮膚の表皮の中に枝分かれした形の細胞を見つけていました。これが「ランゲルハンス細胞」で、外から入ってくる異物をいち早く捉える、免疫の見張り役だとわかっています。膵臓の「島」と皮膚の「細胞」——体の中に二つのランゲルハンスがあるのは、彼が学生時代に別々の場所で残した発見の名残です。
若くして世を去った観察者
これほどの発見を学生のうちに残しながら、ランゲルハンス自身は結核を患い、40歳の若さで亡くなりました。自分の名が血糖の話題でくり返し呼ばれる未来を、彼は知らなかったことになります。顕微鏡の向こうに小さな島を見つけた青年の目が、いまも医学の教科書に残っているのです。
ランゲルハンス島の「島」は、比喩でも愛称でもなく、顕微鏡の中に本当に見えた景色から付いた名前でした。海に囲まれた小さな島のように、消化液の組織にぽつぽつと浮かぶ細胞たち。名前の由来をたどるだけで、体の奥に広がる小さな島々の風景と、そこに名を残した青年の姿が立ちのぼってきます。ふだんは意識しない体の一部にも、こうしてささやかな地誌があるのです。
関連記事



