「土竜」と書いて「モグラ」と読みます。ところがこの二文字は、中国ではもともと別の生きものを指す言葉でした。ミミズです。
モグラが土の中でいちばんよく食べている相手が、そのミミズにあたります。名札を借りた側と貸した側が、同じ地面の下で向かい合っている——そういう妙な関係です。誰の名前が誰に付いたのか、順にたどってみましょう。
「土竜」「鼴鼠」「地竜」——似た三つの名前が指すもの

この話には、よく似た漢字が三つ登場します。取り違えの経緯をたどる前に、それぞれの名札が誰に付いているのかを並べておきます。
| 表記 | 日本で指すもの | 中国で指すもの |
|---|---|---|
| 土竜(土龍) | モグラ | ミミズの別名。ほかに雨乞いに使う土製の竜 |
| 鼴鼠・鼹鼠(えんそ) | モグラ | モグラ |
| 地竜(地龍) | 乾燥させたミミズ。生薬の名前 | 同じく生薬のミミズ |
三行のうち、日本と中国で食い違うのは一行目だけです。「土竜」だけが、海を渡ったところで指す相手を変えています。
「土竜」は、中国ではミミズの別名だった

日本の辞書は、この食い違いをかなりはっきり書いています。曖昧にぼかさず、指す相手が国によって違うと明記しているのが特徴です。
辞書がそろえて書いていること
「日本ではモグラに当て、中国ではミミズに当てる」
『精選版 日本国語大辞典』は「どりゅう【土龍】」の一つめの語義を、もぐら(鼴鼠)またはみみず(蚯蚓)の異名としています。そのうえで「日本ではモグラに当て、中国ではミミズに当てるという」と添えられています。ひとつの見出し語に、二種類の生きものが同居している形です。
漢字検定の辞典は「誤用」と書いている
日本漢字能力検定協会の「漢字ペディア」は、もっと踏み込んだ書き方をしています。「土竜」は漢名(中国での呼び名)でミミズに由来し、モグラがミミズを好むことからの誤用とされる——という趣旨の注記が付いています。取り違えが起きた、と辞典の側が認めているわけです。
『本草綱目』が並べたミミズの別名
釈名の欄に「土龍」が並ぶ
中国側の記録にもあたっておきます。明の李時珍(りじちん)がまとめた薬物書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』には、蚯蚓(きゅういん=ミミズ)の項目に別名がずらりと列挙されていました。そこに並ぶ名前のひとつが「土龍」で、すぐ隣には「地龍子」も置かれています。ミミズの別名として土龍が公式に登録されている——それがここでの要点です。
別名それぞれに出典が付いている
李時珍は名前を並べるだけでなく、どの書物から採った名かも書き添えています。土龍は『名医別録』、地龍子は『薬性論』からとされます。思いつきで足された異名ではなく、より古い薬物書にさかのぼる呼び名だったわけです。
ミミズが「竜」と呼ばれたわけは、雨にあった

ここで疑問がひとつ残ります。細長いとはいえ、ミミズを竜と呼ぶのは飛躍が大きすぎないか、という点です。手がかりはやはり『本草綱目』にあります。
「雲を作り、雨や晴れを知る」
天気を当てる生きものと見なされていた
李時珍は、ミミズが「土龍」「龍子」と呼ばれる理由を、医家のあいだで雲を起こし雨や晴れを知る生きものとされていたからだと説明しています。雨の前に地上へ出てきて、晴れた夜には鳴く——そんな観察も添えられていました。竜は水と雨をつかさどる存在ですから、雨を予告する生きものが竜の名で呼ばれるのは、当時の理屈では自然な流れでした。
雨乞いには、本物の土の竜が使われた
「土竜」にはもうひとつ、文字どおりの意味もあります。土で作った竜の像です。前漢の董仲舒(とうちゅうじょ)が著したとされる『春秋繁露(しゅんじゅうはんろ)』の求雨篇には、青・赤・黄・白・黒の五色の土の竜を方角に応じて並べ、雨を願う手順が記されています。日本にもこの言い方は入っていて、菅原道真の漢詩文集『菅家文草(かんけぶんそう)』(900年頃)の喜雨詩にも土龍が出てきます。ミミズも土の竜、雨乞いの人形も土の竜。「土竜」という二文字は、もとから雨と強く結びついた言葉でした。
いまも薬の名前に残る「地竜」
『神農本草経』から『図経本草』へ
ミミズを竜と呼ぶ感覚は、過去の話ではありません。乾燥させたミミズは、いまも「地竜」という名前の生薬として扱われています。最古級の薬物書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』には「白頸蚯蚓(はっけいきゅういん)」の名で載り、11世紀の『図経本草(ずけいほんぞう)』で「地龍」という呼び方が現れたとされます。
※ 生薬(しょうやく)とは、植物や動物・鉱物などをそのまま、あるいは簡単な加工だけで薬として用いるもののことです。
日本では熱さましとして知られてきた
日本でも、ミミズを煎じたものは風邪の熱さましの民間薬として使われてきました。現在も地竜を配合したエキス剤が市販されています。産地によって下ごしらえも違い、中国産は内臓を除いた平たいひも状、日本産は内臓ごと棒状に乾燥させるのが一般的だそうです。薬の棚に並ぶ「竜」の正体がミミズだと知ると、名前の見え方が少し変わります。
その名札が、なぜモグラに移ったのか

ミミズの名前だったものが、日本ではモグラの名前として定着しました。この移動については説明が二つあり、どちらが本当かは決着していません。
説その一「ミミズを好む生きものだから」
ミミズを食べることに特化している
モグラは食虫類に分類されることが多いものの、実際の食べ物の幅は広く、昆虫や甲虫の幼虫もよく食べます。それでも多くの種はミミズを食べることに特化しているとされます。日本の畑や庭で塚を作るアズマモグラやコウベモグラも例外ではありません。「ミミズのいるところにモグラがいる」という結びつきは、観察していればすぐ気づく関係です。ミミズを指す漢字が、ミミズを追いかける動物のほうへずれた——という筋書きには、それなりの説得力があります。
頭を噛んで、動けなくして貯めておく
両者の関係は「食べる」だけにとどまりません。餌が十分にあるとき、モグラはミミズの頭を噛んで動けない状態にしてから、巣穴の貯蔵室にためておく場合があると報告されています。腐らせずに置いておくための、生きたままの保存です。名前を貸した側が、名前を借りた側の食料庫に積まれている。皮肉な構図というほかありません。
説その二「掘った跡が竜に見えるから」
畑に走る、盛り上がった線
もうひとつの説は、モグラ自身ではなく掘った跡に注目します。地表近くを掘り進むと、土が押し上げられて細長い盛り上がりができます。畑や芝生を横切る、あの線です。地上に出された土の山は「モグラ塚」と呼ばれます。この線を、地面の下を進む竜の背に見立てた——という説明です。
二つの説は、いまも並んだまま
語源を扱う資料には、この二つが並記されていることが少なくありません。トンネルの形から名付けられたという説明と、中国のミミズの名を取り違えたという説明が、同じページに同居しています。ただし中国側でミミズを土龍と呼んだ記録がはっきり残っている以上、取り違え説のほうが説明としては座りがよい、という見方が強めです。決めきれない話を無理に一本化しない、という前提でここは読んでください。
日本ではいつから「土龍」と書いてきたか

取り違えがいつ起きたかを特定するのは難しいものの、江戸時代の書き物にはすでに「土龍」がモグラとして登場しています。
江戸の書き物に残る用例
1679年の俳諧では「ウコロモチ」と読ませている
『精選版 日本国語大辞典』が「うごろもち」の実例として挙げるのは、俳諧『両吟一日千句』(1679年)の一句です。そこでは「土龍」に「ウコロモチ」の読みが付いています。この時点で、漢字はすでにモグラのものとして使われていました。
1853年頃の人情本では「モグラモチ」
同じ辞典が「もぐらもち【鼹鼠・土龍】」に引くのは、人情本『柳之横櫛(やなぎのよこぐし)』(1853年頃)の「イヤハヤ噺せねへ土龍だぞ」という台詞です。読みは「モグラモチ」。同じ二文字が、時代とともに読み方だけを変えながら受け継がれていったことがわかります。
| 年代 | できごと |
|---|---|
| 918年頃 | 『本草和名』に古名「うごろもち」が載る |
| 1596年 | 『本草綱目』が刊行される。ミミズの別名に「土龍」を挙げる |
| 1679年 | 俳諧『両吟一日千句』に「土龍(ウコロモチ)」 |
| 1775年 | 『物類称呼』が呼び名の地域差を記録 |
| 1853年頃 | 人情本『柳之横櫛』に「土龍(モグラモチ)」 |
モグラの「本名」は鼴鼠のほう
鼠へんの、画数の多い字
中国でも日本でも一貫してモグラを指す漢字は「鼴鼠」です。「鼴」は部首が鼠で22画、異体字の「鼹」は23画。どちらも漢字検定では1級に配当されています。手書きで気軽に使える字ではありません。
「土竜」は付表に入っていない
では「土竜」のほうは公認かというと、そちらも扱いは軽くありません。常用漢字表の付表には「小豆」「雪崩」「猛者」など116語の特別な読みが並びますが、「土竜」はそこに入っていないのです。学校で習う読み方ではなく、辞書と読み物のなかで生き延びてきた表記だと言えます。
「モグラ」という和名も、土のことを言っている

漢字の話が長くなりました。かなで書く「モグラ」のほうにも、意外と知られていない来歴があります。
古い名前は「うごろもち」
918年頃の薬物書に載っている
「うごろもち」は、918年頃に成立した『本草和名(ほんぞうわみょう)』に見える古名です。平安時代にはこのほか「ムグロモチ」「ウグルモチ」といった形もありました。「モグラ」という短い形が広まるのは、ずっとあとの江戸時代後期です。
意味は「土を持ち上げるもの」
語尾の「もち」は「持ち」です。平安時代の辞書には土を盛り上げる意味の動詞があり、そこからの命名と考えられています。掘る動物ではなく、土を持ち上げる動物として名付けられたわけです。畑に残るあの盛り上がりを見た人が付けた名前だと思うと、腑に落ちます。
「もぐる」が語源ではない
動詞のほうが新しい
モグラだから「潜る」だろう——そう考えたくなるところです。ところが動詞「もぐる」は比較的新しい語で、現在のモグラという語形から逆算して作られた俗説だと指摘されています。中世は「ウグロモチ」、江戸時代に「ムグロモチ」が主流となり、後期に「モグラ」へと縮んでいきました。「もぐる」が影響した可能性はあっても、出発点ではありません。
1775年の書物が記録した地域差
方言辞書の先駆けである越谷吾山(こしがやござん)の『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』(1775年)は、呼び名が地域で割れていた様子を書きとめています。全5巻に約4,000語を集めた本で、モグラが出てくるのは動物をあつめた巻二。短い「もぐら」は、当時は西の言い方でした。
| 地域 | 呼び名 |
|---|---|
| 京 | うごろもち |
| 東国(関東) | むぐらもち |
| 西国 | もぐら |
英語の mole も、スパイの mole も

名前の付け方という点では、海の向こうにも面白い一致が見つかりました。
英語圏でも「土を投げるもの」
moldwarp という古い呼び名
英語の mole は14世紀半ばに molle の形で現れます。語源ははっきりしないものの、いまは使われない moldwarp が縮んだ形ではないかとされています。moldwarp を直訳すると「土を投げるもの」。日本語の「土を持ち上げるもの」と、発想がほとんど重なります。
離れた土地で、同じ着眼
互いに影響し合ったわけではないでしょう。地面の下の姿は誰にも見えず、見えるのは押し上げられた土だけ。名付ける材料が同じなら、離れた土地でも似た名前になります。モグラという動物は、どこでも「土を動かすやつ」として認識されてきたのでしょう。
スパイを「モグラ」と呼ぶのは1974年から
ル・カレの小説で広まった
組織の内部に深く潜り込んだ二重スパイを mole と呼ぶ用法があります。この意味を世に広めたのは、1974年のジョン・ル・カレの小説だとされます。20世紀の初めごろから使われていた形跡はあるものの、定着させたのは小説のほうでした。
穴を掘って進む、という比喩
由来は「burrowing(穴を掘って進むこと)」の連想です。地上からは何も見えないまま、地面の下で少しずつ距離を稼いでいく。日本語でも組織に潜り込んだ人物を「モグラ」と呼ぶことがありますが、こちらは英語の言い回しが訳されて入ってきたものと考えられます。土竜という漢字がミミズから借りたものだとすれば、スパイの意味は英語から借りたもの。この動物の名前は、借り物を重ねながら太ってきました。
整理すると、日本の地面の下には竜が二匹いることになります。名前を借りたまま土を押し上げているモグラと、名前を貸したまま誰にも気づかれていないミミズです。
畑に細長い盛り上がりを見つけたとき、そこを進んでいるのは竜の名を借りた小さな哺乳類です。そして、その先で待っているのは、もっと古くから竜と呼ばれていた細長い生きもののほうかもしれません。
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