サラリーの語源はなぜ「塩」なのか、兵士は塩で給料をもらっていた?

塩の瓶のイラストと「サラリーと塩」の文字 言葉と論理の話
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英語のsalary(サラリー)は、ラテン語のsalarium(サラリウム)から来た言葉で、その根にあるのは塩を意味するsal(サル)です。ただ、なぜお金の名前に塩が入ったのかは、古代の記録からははっきりしません。そして「ローマの兵士は塩で給料をもらっていた」という有名な話は、古代の証拠がない俗説です。兵士の給料は貨幣で払われ、「塩で支払い」の話は18世紀の辞書から広まったと考えられています。

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salaryは塩のsalから生まれた言葉

小皿に盛られた盛り塩のイラスト

英語salary ← ラテン語salarium ← sal

語のつながりそのものは、辞書のあいだで争いがありません。英語のsalaryは中世にフランス語を経て入った言葉で、元をたどるとラテン語のsalariumに行き着きます。salariumの中心にあるのが、塩を表すsalです。

salariumはもともと「塩の」「塩に関わる」という形容詞salariusから作られた名詞です。直訳すれば「塩にまつわるもの」。この時点で、すでに給料と塩が一つの単語に収まっていたことになります。

ヨーロッパの「塩」はみな同じ仲間

salの子孫は、いまのヨーロッパの言葉にそのまま残っています。フランス語のsel・イタリア語のsale・スペイン語のsalは、どれも塩のこと。英語のsaltもラテン語から借りた語ではありませんが、もっと古い時代にさかのぼると同じ祖先をもつ親戚です。

食卓の塩と、毎月の給料。まるで別のものに見える二つが、言葉の上では同じ根っこから伸びています。

なぜお金の名前に塩が入った?

お札の入った給料袋のイラスト

古代の記録には答えが残っていない

意外なことに、salariumがなぜ「塩」の名を持つのかを説明した古代の文章は見つかっていません。現代の代表的なラテン語辞典『オックスフォード・ラテン語辞典』(1968年)も、salから来た語だと書くだけで、どういう経路でそうなったかには踏み込んでいません。英語版ウィキペディアの「Salary」の項も「正確なつながりは分かっていない」としています。

有力なのは「塩を買うための手当」説

よく知られた説明は、salariumが「塩を買うために渡されたお金」だったというものです。19世紀の辞書は、靴代の手当calcearium(カルケアリウム)や衣服代の手当vestiarium(ウェスティアリウム)を例に挙げ、「品物の名+お金」という作りの言葉の仲間だと考えました。

筋は通っていますが、塩代の手当として実際に使われた例は、古代の文献に一つも残っていません。あくまで言葉の作りから組み立てた推測です。

「食べ物を買うお金」だったという見方も

別の見方を示すのが、古代ギリシャ語で給料を表したopsōnion(オプソーニオン)です。これはパンに添える魚やおかずを指すopsonを買うお金、という意味の言葉でした。主食以外の暮らしの費用をまとめて「おかず代」と呼んだわけです。

ニュージーランドの古典学者ピーター・ゲインズフォードは、salariumも同じように「塩に代表される、こまごまとした生活費」くらいの意味だったのではないかと述べています。

プリニウスが書いたのは短い一文

巻物の古文書のイラスト

『博物誌』第31巻の塩の章

salariumと塩を結びつける古代の記述は、ほぼ一つしかありません。1世紀ローマの博物学者プリニウス(大プリニウス)が、百科事典のような大著『博物誌』の第31巻に書いた一文です。塩の効用や逸話を並べた章のなかに、こうあります。

(塩は)公職や軍務にもかかわり、サラリウムの名もそこから来ている。

プリニウス『博物誌』第31巻89節(筆者訳)

すぐ後に続くのは「塩の道」の話

この一文のすぐ後で、プリニウスは塩が昔の人にとってどれほど重んじられたかを、街道の名前を例に語ります。ローマから北東へ延びるサラリア街道(ウィア・サラリア)は、塩をサビニ人の土地へ運ぶ道と取り決められていたので、その名がついたというのです。

つまりプリニウスが伝えたかったのは「塩は大事なもので、言葉にも道にも名を残した」ということ。給料の払い方を説明した文ではありません。

「兵士に塩を払った」とはどこにもない

原文を読むと、兵士という語も、塩を配ったという話も出てきません。それでも英語版ウィキペディアにはかつて「兵士の給料はもともと塩だった」とプリニウスの訳文を載せていた時期があり、ゲインズフォードはこれを誤訳だと指摘しています。短い一文に、後の人がずいぶん多くを読み込んできたわけです。

ローマ兵の給料は貨幣だった

古代の銀貨のイラスト

兵士の給料は「スティペンディウム」

ローマの兵士がふだん受け取っていた給料には、stipendium(スティペンディウム)という別の名前がありました。払われたのは銀貨です。紀元前2世紀のギリシャの歴史家ポリュビオスは、歩兵の日給を2オボロス、ローマの銀貨でいえば3分の1デナリウスと記録しています。

帝政期に入ると給料はいっそう整い、一般の軍団兵は年225デナリウスを受け取りました。1世紀末のドミティアヌス帝の時代には、これが300デナリウスに引き上げられています。

塩は日給で何倍も買えた

塩の値段と比べてみると、塩で給料を払う理由の薄さが見えてきます。ゲインズフォードの試算では、ローマの1ポンド(約330グラム)の塩は、歩兵の日給のおよそ20分の1でした。1日働けば、塩が6キロほど買えた計算になります。

塩が貴重だったのは確かでも、給料そのものにするほど高価ではなかったわけです。兵士が塩の袋を担いで給料日を迎える光景は、どうやら後世の想像の産物でした。

salariumは「俸給」として広がった

では、salariumという言葉は実際にどう使われたのか。帝政期の文献では、年金・手当・俸給といった広い意味で出てきます。皇帝から役人に支払われるお金を指す例も多く、兵士の塩代に限った言葉ではありませんでした。

この「定まった報酬」という意味が中世のフランス語を通って英語に入り、いまのsalaryになりました。

「塩で払った」話はどこで生まれた?

開いた本のイラスト

最初は1771年のラテン語辞典

ゲインズフォードがさかのぼって見つけた最も古い例は、イタリアの学者ファッチョラーティとフォルチェッリーニが1771年に出した大部のラテン語辞典です。そこではsalariumが「かつて兵士に与えられた、年ごとの塩」と説明されていました。

古代の資料に裏づけはなく、辞典の編者が付け加えた解釈でした。ここから「塩そのものが給料だった」という話が育っていきます。

別の文献の「塩の税」と混ざった

なぜ辞典はそう書いたのか。ゲインズフォードは、歴史家リウィウスの記事が混ざったとみています。リウィウスは紀元前204年に塩に課された税をsalaria annona(サラリア・アンノナ)と書いており、annonaには「年ごとの収穫」と「兵士への配給」の二つの意味がありました。

本来は「その年の塩の生産」という意味の語を、兵士への配給と読み違えた。プリニウスの一文とこの記事が辞典の上で一つになり、「兵士に配られた塩」が生まれたというわけです。

19世紀の辞書が受け継いで定着

この説明は、1804年と1834年のドイツの辞書に引き継がれました。決め手は1879年に出たルイス&ショートのラテン語辞典でした。英語圏で長く使われたこの辞典が、salariumの元の意味を「兵士に与えられた塩代、塩の金」と載せたのです。

「兵士は塩で給料をもらった」という一般向けの言い回しが文章に現れるのは1860年代から。辞書の推測が、繰り返し引用されるうちに事実のように語られるようになりました。

塩がお金並みに重んじられたのは本当

干物の魚のイラスト

冷蔵庫のない時代の保存料

塩で給料を払った証拠はなくても、塩が大切だったことは疑いようがありません。冷蔵庫のない時代、肉や魚を長く持たせる方法の中心は塩漬けでした。塩がなければ、食料を蓄えることも遠くへ運ぶこともできません。

人の体にも家畜にも塩は欠かせず、大軍を動かすなら塩の確保は避けて通れない問題でした。

ローマの成り立ちと塩

内陸に住むサビニ人は、テヴェレ川の河口にある塩の湿地まで塩を取りに来ていました。プリニウスが名を挙げたサラリア街道は、その塩の交易路です。この道と塩の取引こそがローマという町の始まりだった、と考える歴史家もいます。近くのエトルリア人の都市ウェイイも、塩の生産で豊かになったと伝えられる町です。

リウィウスは、ローマが早くから塩の取引を国の管理下に置いていたことも記しています。塩は、国の力と直結する品物でした。

塩と値打ちを結ぶ言い回しは古い?

上杉謙信の似顔絵イラスト

英語の「worth one’s salt」は近代生まれ

英語には「worth one’s salt」という言い回しがあります。直訳は「自分の塩に見合う」で、意味は「給料に見合う働きをする、一人前だ」。古代ローマの名残のように紹介されることがありますが、英語の文献に現れるのは18世紀の終わりから19世紀のことです。

salaryの語源を意識した言葉遊びなのか、単に塩が値打ちのある品だったからなのか。どちらにしても、ローマ時代から続く決まり文句ではありません。

日本の「敵に塩を送る」

日本語にも、塩の値打ちが下地になった言葉があります。「敵に塩を送る」は、争っている相手の弱みにつけこまず、苦境を助けること。海のない甲斐の武田信玄が今川氏と北条氏に塩の道を断たれたとき、宿敵の上杉謙信が塩を正当な値で売らせたという話にちなみます。

この逸話は江戸時代の歴史書『日本外史』に載っているもので、史実かどうかには異論もあります。それでも、塩を断つことが攻め手になるほど、塩は暮らしの命綱でした。

「手塩にかける」の手塩とは

手間ひまをかけて大事に育てることを「手塩にかける」と言います。手塩は、昔の食膳に添えられた少しの塩のこと。自分で味を整えるための塩で、そこから「自分の手でじかに面倒をみる」という意味が生まれました。こちらは値打ちというより、塩が毎日の食事に必ずあったことを映す言葉です。

「サラリーマン」は日本で生まれた言葉

名刺を差し出す会社員のイラスト

英語ではそのまま通じない和製英語

会社勤めの人を指す「サラリーマン」は、salaryとmanをつないだ和製英語です。英語で同じことを言うなら、office workerやcompany employeeが近い表現になります。

ただ最近は、欧米の新聞や本でも「日本の会社員」を指す言葉としてsalarymanが使われ始めています。日本の働き方とセットで、逆輸入された形です。

広めたのは1928年の『サラリマン物語』

この言葉が使われ始めたのは大正時代の1920年ごろとされます。それまでは「月給とり」「勤め人」「腰弁(こしべん)」などと呼ばれていました。

広まるきっかけになったのが、1928年(昭和3年)に出た前田一(まえだ はじめ)の『サラリマン物語』です。前田は北海道炭礦汽船の社員で、のちに日本経営者団体連盟の初代専務理事を務めました。古代ローマの塩の語が、ここで日本の会社員の呼び名に姿を変えたことになります。

サラリーの語源が塩なのは本当で、塩で払われていたのは辞書が生んだ物語。二つを分けてみると、一つの単語に古代の塩の重みと、二百年以上語り継がれてきた勘違いの両方がしみこんでいるのが分かります。

参考

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