土俵の上で行司(ぎょうじ)が「はっけよい」と声を張るのは、取組が始まる瞬間ではありません。二人の力士が組み合ったまま、動きを止めたときです。
動いている間は「のこった、のこった」。止まったら「はっけよい」。あの二つの声は、力士の動きに合わせて切り替わっています。テレビで耳にしているのは、開始の合図ではありません。勝負がいまどうなっているかの実況です。
掛け声は、力士が動いているかどうかで切り替わる

下の表には、行司の声の欄が空いている行が一つだけあります。そこが大相撲でいちばん張りつめる瞬間です。
| 場面 | 行司の声 | 声が伝えていること |
|---|---|---|
| 制限時間前の仕切り | 「見合うて」「構えて」「油断なく」 | 集中を切らさないよう促す |
| 制限時間いっぱい | 「時間です」「待ったなし」「手をついて」 | 次で立つ、と告げる |
| 立ち上がる瞬間 | (声はかからない) | 開始の合図そのものが存在しない |
| 組み合って動いている | 「のこった、のこった」 | まだ勝負はついていない |
| 動きが止まった | 「はっけよい」 | 気を出して動け |
| 勝負がついた | (軍配を上げる) | 勝った側を指し示す |
野球なら「プレイボール」、柔道なら「始め」。ほとんどの競技には、第三者が開始を告げる声があります。大相撲にはそれがありません。両者が呼吸を合わせて土俵に手をつくことで、取組は勝手に始まります。
行司はその瞬間を待っているだけです。だから「はっけよい」を開始の合図だと思って聞くと、表の一行ぶんだけ、ずれが生じます。
「のこった」は、まだ勝負がついていないという報告

「のこった」は、二人の力士が動いている間にかけられる声です。意味は「二人とも残っている=勝負はついていない」。国立国会図書館のレファレンス協同データベースにも、この掛け声を扱った児童書がいくつも登録されており、どれも「まだ勝負がついていない」という趣旨で説明しています。
何が「残って」いるのか
残っているのは、決着していない勝負
『みんなの相撲大全1』(教育画劇)も『世界のスポーツ4』(学研)も、「残った」を「技はかかっているが、まだ決まっていない」という状態の説明として載せています。つまり残っているのは力士ではなく、決着していない勝負のほうだと考えるとよいでしょう。
土俵際では、文字どおりの意味とも重なる
俵に足をかけてこらえている場面で「のこった!」と飛ぶと、「まだ土俵の内側に残っている」という実況にも聞こえます。俵の上でこらえる相撲には、うっちゃりや突き落としのように、残したところから逆転する決まり手もそろっています。二つの意味が同時に成り立つ、数少ない場面です。
声は力士だけに向いているのではない
力士へは「続けろ」
組み合った力士は、相手の体の向こう側が見えません。自分が有利なのか、土俵のどのあたりにいるのかも分かりにくい。連呼される「のこった」は、その状態の力士に「勝負はまだ続いている」と伝え続ける役割を持ちます。
観客へは「まだ決まっていない」
行司の声が途切れて軍配が上がれば、そこで勝負あり。逆にいえば、声が続いている限りは決着していないという合図になります。両者がもつれて倒れ込んだような場面でも、聞こえてくるのが「のこった」なのか無音なのかで、事態の見え方が変わります。
「はっけよい」は、止まった相撲を動かす声

一方の「はっけよい」は、動きが止まったときの催促です。日本相撲協会の解説でも、この声がかけられるのは立ち合いの前や、取組中に二人の動きが止まったときだとされています。
動きが止まると声が変わる
四つに組んだまま、力を溜める時間
互いにまわしを引き合い、腰を落として動かなくなる。見た目には膠着(こうちゃく)していますが、実際には全身で押し合っている状態です。ここで「のこった」を連呼しても、伝えるべき変化がありません。
意味は「気を出せ」に近い
協会の解釈にしたがえば、「はっけよい」は「さあ、互いに元気を出して相撲を取りましょう」という呼びかけになります。止まった二人を動かすための声。そう考えれば、動いている最中に出てこないのも道理でしょう。
開始の合図だと誤解される理由
立ち上がった直後に耳へ入る
誤解の原因ははっきりしています。行司が声を出すのが立ち合いの成立した直後なので、順番としては「声→取組」に聞こえてしまうのです。実際には「取組→声」で、順番が逆になっています。
そもそも開始を告げる係がいない
主審にあたる行司が土俵の上にいるのに、競技は当事者どうしの合意で始まる。対戦形式の競技としては、かなり珍しい形です。行司が制限時間後に軍配を返して「待ったなし」と声をかけるのは、開始の宣言ではなく、そろそろ立てるように促す働きかけにとどまります。
合図なしで始められる仕組み
両手をつくことが立ち合いの条件
腰を割り、両方の拳を土俵につく。これがそろって初めて立ち合いとして認められ、不十分なら仕切り直しになります。この厳格化がおこなわれたのは1980年代の半ばですが、1984年とする記述と1985年とする記述があり、年については資料ごとに食い違ったままです。
※ 立ち合いとは、両力士が蹲踞(そんきょ)の姿勢から立ち上がり、取組を開始する瞬間のことです。
制限時間は幕内で4分
仕切りの制限時間は幕内4分、十両3分、幕下以下2分と決まっています。導入は1928年1月場所で、ラジオ中継の開始に合わせた措置でした。現行の長さに落ち着いたのは1950年9月場所です。呼吸が合うまで無制限に待つ形は、放送の時代に入って終わったことになります。
「はっけ」は八卦か、発気か、早く競えか

使い分けははっきりしている一方で、語源のほうは決着がついていません。有力とされる説を並べると、出どころがきれいに分かれます。
| 説 | もとの語 | 出どころ | 位置づけ |
|---|---|---|---|
| 八卦良い | 八卦(易占い)が良い | 『大言海』ほか | もっとも広く知られている |
| 発気揚々 | 気を発して盛んに | 日本相撲協会の審判規定 | 協会の公式見解 |
| 早競へ | ハヤキホヘ(早く競え) | 『日本国語大辞典』が紹介する説 | 辞書が有力視する説 |
広く知られているのは「八卦良い」説
『大言海』が載せた説
「はっけ」を易(えき)の八卦とみて、「良い卦(け)が出ている」と読む説です。大槻文彦(おおつきふみひこ)が編んだ国語辞典『大言海』がこの説を採っており、一般にはこれがいちばん通っています。
※ 八卦(はっけ)とは、易占いで用いる八種類の基本の図形のことです。そこから転じて、占いそのものを指す言葉としても使われます。
なぜ相撲で占いなのかは、説明が乏しい
国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、「なぜ相撲で八卦なのか」という質問そのものが登録されています。回答にあたった図書館が資料を当たっても、理由をはっきり書いた文献は見つかっていません。『日本語源広辞典』は八卦説と発気説の両方を、興行として相撲が行われるようになってからの付会(ふかい/後付けの解釈)だとしています。
相撲協会の審判規定は「発気揚々」
規定に書き込まれている
『日本国語大辞典』の語誌欄によれば、日本相撲協会の審判規定には「発気揚々を意味し」と明記されています。俗説の一つではなく、団体の内規に残った解釈である点が、他の説と違うところです。
「元気を出して取りましょう」の意味
発気揚々(はっきようよう)は、気持ちを奮い立たせて堂々と、といった意味合いになります。止まった二人を動かす催促としては、意味の上でもよく合っています。
辞書が有力とみるのは「早競へ」説
ハヤキホヘからハッキョイへ
「はっ」は「早(はや)」、「けよい・きょい」は「競(きほ)ふ」の命令形「キホヘ」。合わせて「早く競え」となり、音が変化して「はっきょい」になり、さらに「はっけよい」へ転じたという説です。国語学者の岡崎正継が唱え、『日本国語大辞典』もこの説を紹介しています。
掛け声は命令形と考えるのが自然
この説が支持される理由は、掛け声の性格そのものにあります。動きを求めて力士に投げかける言葉なのだから、名詞の「八卦」や四字熟語よりも、動詞の命令形とみるほうが素直だというわけです。『日本語源広辞典』が挙げる三説のうちでも、「早く、来い」に近い説が起源とされています。
掛け声に教科書はない

これだけ有名な言葉でありながら、行司は掛け声を体系立てて教わるわけではありません。声のかけ方は、いまも一人ひとりが組み立てています。
行司は掛け声を教わらない
先例を見て、自分で工夫する
先輩からの正式な指導という形は取られておらず、それぞれが先例を参考にしながら工夫しているとされます。同じ「はっけよい」でも、伸ばし方や重ね方が行司ごとに違って聞こえるのは、そのためです。
仕切り中の言い回しは幅が広い
制限時間前の仕切りでは、「構えて」「見合うて」「油断なく」「向かい合って」など、行司によってさまざまな言い方が使われてきました。一方、時間いっぱいの場面では「時間です」「待ったなし」「手をついて」がほぼ定着しています。自由な部分と、そろってきた部分が同居しているわけです。
表記のほうも一つに決まっていない
はっけよい、はっきよい、ハッキヨイ
辞書の見出しは「はっけよい」ですが、実際の発声に近い「はっきよい」も広く使われます。日本相撲協会の公式サイトには「ハッキヨイ!せきトリくん」という子ども向けのコーナーがあり、こちらはカタカナ表記です。語源が定まらないまま親しまれてきた言葉らしい揺れ方といえます。
声は自由でも、立ち方の規則は厳しくなった
掛け声が個人裁量で残ってきたのとは対照的に、立ち合いの規則は年々厳しくなりました。2008年9月場所には、手つきが不十分なら取り直しも辞さないという方針が打ち出されています。声は緩やかに、動作は厳格に。土俵の上では、二つの流れが逆を向いています。
文献に残る最初の「はっけよい」は、金太郎の歌

語源をたどると靄(もや)がかかる言葉ですが、文字として残った古い実例のほうは、意外なところで見つかります。
1900年の唱歌「きんたらう」
二番の歌詞に出てくる
『日本国語大辞典』が用例として挙げるのは、明治33年(1900年)の『幼年唱歌』に載った「きんたらう」です。石原和三郎の作詞、田村虎蔵の作曲。二番の「足柄山の山おくで けだもの集めて相撲のけいこ」に続いて、「はっけ よいよい のこった」が二度くり返されます。
多くの人が最初に覚えた相撲用語
一番の「まさかりかついだ金太郎 くまにまたがりお馬のけいこ」と合わせて、いまも歌い継がれている歌です。土俵を見たことのない子どもが「はっけよい」と「のこった」を先に覚えてしまう入り口が、120年以上前からここに用意されていたことになります。
ヘブライ語起源説の扱い
日ユ同祖論の一部として広まった
「はっけよい」はヘブライ語で「投げうて」の意味だ、という話を見かけることがあります。これは日ユ同祖論(にちユどうそろん/日本人と古代イスラエル人を同じ祖先とみる説)の文脈で語られてきたもので、書籍や動画で紹介されてきました。
語呂合わせの域を出ないとされる
ただし日ユ同祖論そのものが、考古学や歴史学では主流の学説として受け入れられていません。日本語の語はどれも千年以上かけて今の形になっており、現代の音だけを並べたヘブライ語との比較は語呂合わせを出ない、という批判が繰り返されています。面白い話ではあるものの、語源の候補として並べるには根拠が足りない、という位置づけです。
使い分けのほうは、土俵を見ていれば確かめられます。動いていれば「のこった」、止まれば「はっけよい」。ところが語源については、辞書と相撲協会が別々の答えを出したまま、どれかに軍配が上がったわけではありません。八卦か、発気か、早く競えか。三つの説は、いまも土俵の上に残っています。
参考
関連記事





