「折り紙付き」の折り紙は、鶴を折る色紙のことではありません。和紙を横に二つ折りにして書いた「文書」の形を指す言葉です。江戸時代には刀剣や書画の鑑定書がこの形で出され、「鑑定書の付いた品」が「間違いのない品」の意味に育ちました。遊びの「おりがみ」と根はつながっていますが、呼び名は文書のほうが先です。
折紙は和紙を横に二つ折りにした文書

竪紙・折紙・切紙で変わる文書の格
古文書学でいう折紙は、紙の「形状」の名前です。1枚の和紙を広げたまま使うものを竪紙(たてがみ)と呼び、それを横に二つ折りにしたのが折紙でした。広げたままがいちばん正式で、折ったり切ったりすると略式になります。おもな形を並べると次のとおりです。
| 呼び名 | 紙の使い方 | 格と主な用途 |
|---|---|---|
| 竪紙(たてがみ) | 1枚を広げたまま使う | もっとも正式。公文書の本来の形 |
| 折紙(おりがみ) | 横に二つ折りにして上下を背中合わせにする | 略式。目録・書状・奉書・鑑定書 |
| 竪折紙(たておりがみ) | 縦に二つ折りにして左右を背中合わせにする | かなで書く文書に多い |
| 切紙(きりがみ) | 竪紙を縦や横に裁断して使う | 略式。短い用件向き |
言い回しの語源になったのは2行目の折紙です。格としては略式の側だった紙が、のちに品物の格を請け合う役目を負うことになりました。
折目を下にして書き、裏返して続ける
折紙に字を書くときは、つねに折目を下にします。表で書ききれなければ紙を裏返し、やはり折目を下にして続けました。書き終えた紙を広げると、折目を境に上下の文字が逆さまに向かい合います。平凡社『世界大百科事典』は、これを行末が「尻合せ」になると説明しています。
折目を下にするのは平時の作法でした。凶事を知らせる手紙では、反対に折目を上にしたとされます。開く前から知らせの性質が伝わる仕組みです。
礼紙を節約するための折り方という説
『ブリタニカ国際大百科事典』は、折紙が広まった背景を紙の倹約に求めています。書状には本文の紙に白紙を1枚添えるのが礼儀で、この白紙を礼紙(らいし)と呼びました。鎌倉時代には本紙を横長に折り、裏側を礼紙の代わりにする使い方が出てきたといいます。上質な和紙が貴重だった時代らしい工夫です。
折紙はいつから文書に使われた?

1178年の歌集に「折紙に御宸筆」
折紙が文書に使われ始めたのは平安時代の末ごろです。『精選版 日本国語大辞典』が「二つに折った紙」の古い用例に挙げるのは、藤原俊成の家集『長秋詠藻(ちょうしゅうえいそう)』でした。1178年の成立で、「折紙に御宸筆なりけるもの」を伝え贈られた、という一節があります。天皇の直筆を記した紙も二つ折りだったのです。
自分用の覚書が相手に渡る紙になった
小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』は、折紙はもともと自分の覚書に使った紙だったと推測しています。それが覚書のまま相手に手渡されるようになり、用途が広がっていきました。最初は目録や名簿のような簡単な書き付けが中心です。正式な文書にするほどではない用件を伝える紙、というのが出発点だったようです。
鎌倉時代の「折紙」は訴状の別名
鎌倉時代には、裁判で出す訴状や反論の陳状に折紙がよく使われました。京都の東寺に伝わった『東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)』には、1208年(承元2年)の日付で「訴状折紙」という書き方が出てきます。訴えの書面を折紙で出していたことが読み取れる一通です。
鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』でも、1241年(仁治2年)の記事に「折紙」を受け取ったとあります。武士が幕府へ願いを出す書面としても、この形が通っていました。
室町時代は贈り物の目録とお金の約束に

「折紙」だけで献上物の目録を指した
室町時代になると、折紙は竪紙に対する略式の文書としてはっきり位置づけられます。書状や幕府の奉書、献上品の目録に盛んに使われました。ニッポニカによると、この時代に単に「折紙」と言えば献上物の目録を指すこともあったそうです。何を贈るかを書いた紙が、贈答の場の主役になっていました。
官位を願い出る「小折紙」
朝廷の官位を申請するときに使う折紙は、とくに「小折紙(こおりがみ)」と呼ばれました。人事の希望を小さな折紙にしたためて出すわけです。紙の形がそのまま手続きの名前になった例で、折紙がそれだけ日常の事務に溶け込んでいたことがうかがえます。
金額だけ書いた「折紙銭」は約束手形のよう
室町時代以降には「折紙銭(おりがみせん)」という習わしも広まりました。祝儀としてお金を贈るとき、金額を書いた折紙を添えるものです。折紙を渡す日と現金を受け取る日がずれることもあり、『精選版 日本国語大辞典』は一種の約束手形として働く場合もあったと説明しています。1420年(応永27年)の醍醐寺の書状には、先日の「折紙之物」を早く届けてほしいという催促まで残っていました。
奈良・興福寺の僧が書き継いだ『大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)』の1493年(明応2年)の記事には、「折紙銭数千貫」という記述があります。紙1枚の数字が大金を動かしていたのです。「書いたことが確かに実行される紙」という性格は、この頃から折紙に備わっていました。
刀の鑑定書はなぜ「折紙」と呼ばれる?

本阿弥家は刀の研ぎと鑑定の家
刀の鑑定書が「折紙」と呼ばれるのは、鑑定の結果を奉書紙の折紙に書いて出したからです。安土桃山時代から江戸時代にかけて、この仕事を担ったのが本阿弥(ほんあみ)家でした。刀の研ぎと鑑定を家業にした京都の一族で、書や陶芸で名高い本阿弥光悦もこの家の出身です。
秀吉に折紙の発行を許された本阿弥光徳
講談社『日本人名大辞典』によると、本阿弥光徳(1556〜1619年)は豊臣秀吉に信任され、慶長の初めごろに刀剣の極め所と折紙の発行を許されました。のちには徳川家康にも仕えています。本阿弥家の中興の祖とされる人物です。
ただ、本阿弥家の折紙がいつ始まったかには諸説があります。光徳の父の代とする見方もあれば、家康が極め所に定めたとする話もあるのです。「秀吉の時代に公の鑑定書として形が整った」あたりまでが、確かに言える範囲でしょう。
銘のない刀に鑑定銘を入れた「光徳象嵌」
本阿弥家は紙の鑑定書だけでなく、作者の銘が無い刀に鑑定銘を加えることもありました。光徳が象嵌(ぞうがん)で入れた銘や朱で書いた銘は、今も「光徳象嵌」として珍重されています。鑑定そのものが、刀の一部として残った例です。
刀の折紙には値段まで書かれていた

作者・寸法・代付・花押をそろえた鑑定書
名古屋刀剣博物館の解説によると、折紙に記されたのは次のような項目でした。鑑定した作者名・寸法と特徴・代付(だいづけ)と呼ばれる評価額・年月日・鑑定者の署名と花押です。裏には「本」の字の角印を押すのが正式な形とされます。作者の名前を保証するだけの紙ではなかったわけです。
※ 花押(かおう)とは、署名の代わりに書く図案化したサインのことです。本人が書いた証しになるため、文書の効力を示す役目を持っていました。
値段は「金○枚」か「○貫」で書いた
代付の書き方には、大判の枚数で示す「金極め」と、銭の貫高で示す「銭極め」の2種類がありました。同じ解説には、国宗と伝わる刀の折紙が「金子5枚」、兼光の折紙が「700貫」と紹介されています。金1枚は大判1枚(10両)にあたり、およそ40貫です。
代付はあくまで価値の目安で、実際の売買の値段ではありません。それでも数字が付くことで、刀の格がひと目で比べられるようになりました。
代付が高いほど手数料も増えた
値段を書く鑑定書には弱点もありました。折紙を出す手数料は代付に応じて決まり、高い代付を付けるほど本阿弥家の収入も増える仕組みだったとされます。刀剣ワールドの解説では、13代光忠より後に折紙が乱発され、とくに田沼時代のものは「田沼折紙」と呼ばれたといいます。
そのため刀の世界では、光忠までの「古折紙」が鑑定の確かなものとして珍重されてきました。なかでも12代・本阿弥光常が元禄年間に書いた「元禄折紙」はよく知られています。同じ「折紙付き」でも、誰がいつ付けたかで重みが違ったのです。
「折紙」が「定評」の意味になったのは江戸時代

1680年の俳諧に詠まれた「弥陀の折紙」
鑑定書の意味での用例として『精選版 日本国語大辞典』が挙げるのは、松尾芭蕉の門人たちの句集『桃青門弟独吟廿歌仙』(1680年)です。桃青は、芭蕉がこの頃に使っていた号でした。
引かれているのは「黄金の石塔ひとつ堀りいだす/うたがひもなき彌陀の折紙」という付け合いです。掘り出した黄金の石塔に、阿弥陀仏が疑いようのない鑑定書を付けてくれた。そんな見立てとして読めます。この頃すでに「折紙」と言えば、真贋を保証する紙として読み手に通じていたのでしょう。
武芸や技芸の腕前の証明にも広がった
意味はさらに、武芸や技芸で一定の腕前に達したことの証明・資格にも広がりました。そこから物事一般の保証を指すようになります。品物の鑑定書が、人の実力を請け合う言葉へ移っていった流れです。
森鴎外が書いた「善意の折紙」と「悪意の折紙」
森鴎外は1909年の短編『追儺(ついな)』で、自分への世評を「善意の折紙」と「悪意の折紙」に分けて書きました。何も書かない奴だという評も、何も書けない奴だという評も、どちらも折紙だというわけです。ここでの折紙は「世間が下した評価」くらいの意味で、良し悪しを問いません。
今の辞典では「良い意味だけ」が主流
小学館『デジタル大辞泉』は、「折り紙付き」の「定評がある」の意味について、良い意味でしか使わないと補説しています。悪い評判なら「札付き」を使う、という書き分けです。一方『精選版 日本国語大辞典』は、本来は良いことに使うものの否定的な事柄にも使う、と幅を残しています。鴎外の「悪意の折紙」は、その幅の側の用例といえそうです。
表記は「折紙付き」「折り紙付き」「折り紙つき」のどれでもかまいません。この記事では、文書や鑑定書としての紙を「折紙」、言い回しを「折り紙付き」と書き分けました。
極め付き・お墨付き・太鼓判・札付きは何が違う?

「保証がある」を表す言い回しは、どれも紙・札・判という具体的な物の名前から生まれています。鑑定家の目利きか、権力者の許可か、判の大きさか。出どころを並べると使い分けの勘所が見えてきます。
| 言い回し | もとになった物 | 今の主な意味 |
|---|---|---|
| 折り紙付き | 二つ折りの紙に書いた鑑定書 | 価値や資格に定評がある |
| 極め付き | 書画・刀剣の鑑定を記した極札 | 定評がある・その道の最高。程度の甚だしさにも |
| お墨付き | 幕府や大名が書判を墨で書いて与えた文書 | 権威ある人や機関からの許可・保証 |
| 太鼓判 | 太鼓のように大きな印判 | 確実だという強い保証 |
| 札付き | 商品に付けた正札 | 定評がある。とくに悪い評判 |
極め付きは古筆家の極札から
書画の鑑定で名を上げたのが古筆(こひつ)家です。祖の古筆了佐(こひつりょうさ)は豊臣秀吉から「古筆」の姓を与えられ、「琴山(きんざん)」の印を使いました。この印を押した短冊形の紙片が極札(きわめふだ)で、平凡社『世界大百科事典』は大きさを7×1.5センチほどと記しています。「極め付き」は、この極札が付いていることを指した言葉でした。
鑑定の記し方は極札に限りません。二つ折りの折紙や添状、作品の巻末に書き込む奥書、箱の表裏に書く箱書きもありました。
「極め付き」と「極め付け」の区別
デジタル大辞泉の補説では、本来「極め付き」は極め書きが付いている状態、「極め付け」は極め書きを付けることを指すと区別しています。「極め付きの大酒飲み」のように程度の甚だしさにも使える点は、折り紙付きとの違いです。歌舞伎では当たり役を「極付」と呼び、『極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)』のように外題に入ることもあります。
お墨付きは目利きでなく権威が保証する
「墨付」は、中世から近世にかけて幕府や諸大名が下した公文書のことです。責任者が書判(かきはん)を墨で書いたことから、この名が付きました。所領を与えたり認めたりする、長く効力を持つ文書に多い呼び名です。折紙や極札が鑑定家の目による保証だったのに対し、お墨付きは上に立つ者が認めたという保証でした。
太鼓判は大きな判、札付きは値札から
太鼓判は、太鼓のように大きな印判のことです。そこから確実な保証の意味になりました。辞典には、外周に小さな丸が並んだ古い甲州金を「太鼓判」と呼ぶ意味も載っています。太鼓の革を留める飾りに似ていたからでした。
札付きの札は、商品に付けた正札のことです。そこから「評価が定まっている」の意味が生まれました。ところが今では「札付きの悪党」のように、悪い評判が定まった人を指すのがふつうです。
刀の折紙は今も発行されている?

名刀を束ねた台帳『享保名物帳』
本阿弥家の折紙そのものは、もう新しく出されていません。ただ、その鑑定は将軍家の刀の記録づくりにも生かされました。享保年間(1716〜1736年)に8代将軍徳川吉宗の命で、13代・本阿弥光忠らがまとめたのが『享保名物帳(きょうほうめいぶつちょう)』です。
名物帳には、すでに火災で失われた刀も含めて200振を超える名刀が収められています。原本は失われ、1779年(安永8年)の写本や、東京国立博物館が所蔵する1857年(安政4年)の写本などで内容が伝わりました。
今の格付けは日本美術刀剣保存協会
現代で刀の「折紙」にあたるのは、公益財団法人日本美術刀剣保存協会の審査です。協会は戦後、連合国軍による没収で失われかけた日本刀を守るため、1948年(昭和23年)に設立されました。審査のランクは「保存」「特別保存」「重要」「特別重要」の4段階です。
保存と特別保存は年4回、重要は年1回の審査で、特別保存に合格していることが条件になります。最上位の特別重要は2年に1回で、挑めるのは重要に合格した刀だけです。
審査に出すには登録証の原本が要る
刀を審査に出すときは、銃砲刀剣類登録証の原本を添える決まりです。登録証は、その刀が都道府県の教育委員会に登録されていることを示す書類で、出来の良し悪しを格付けするものではありません。「登録されている」の証明と「確かな品だ」の証明は、今も別々の紙が担っています。
鶴を折る「おりがみ」と同じ言葉なのか?

江戸時代の呼び名は「おりすえ」「おりかた」
文字は同じでも、紙を折って形を作る遊びが「おりがみ」と呼ばれるようになったのは近代に入ってからです。『精選版 日本国語大辞典』の語誌は、「折紙」はもともと古文書の形を表す言葉だったと明記しています。江戸時代の遊びは「おりすえ(折据)」「おりかた(折形)」と呼ばれていました。
千羽鶴の本から明治の色紙の束へ
遊びとしての折紙を記した資料で、現存するもっとも古いものは1797年(寛政9年)の『千羽鶴折形』とされます。1枚の紙からつながった鶴を何羽も折る方法を載せた本です。
平凡社『世界大百科事典』によると、明治期には「たたみがみ」「折紙細工」などと呼ばれ、やがて「折紙」に落ち着きます。明治の中ごろに正方形に断った色紙の束が「おりがみ」として売り出され、紙そのものもそう呼ばれるようになりました。
包みの礼法「折形」が文書と遊びをつなぐ
文書の折紙と遊びのおりがみの間にあるのが、贈り物を和紙で包む「折形(おりかた)」の礼法です。室町幕府で殿中の礼法をつかさどった伊勢家の伝えとされ、1764年には伊勢貞丈(いせさだたけ)が『包之記(つつみのき)』に記しました。献上品の目録を折紙に書く習慣も、品物を折形で包む作法も、武家の贈答の場で形が整えられたものです。
「折り紙付き」「極め付き」「お墨付き」「札付き」。保証を表す日本語は、どれも何かが「付いている」ことで成り立っています。中身を自分で確かめられないとき、人は品物に添えられた紙や札を見て判断してきました。二つ折りの和紙は、その信頼を運ぶいちばん身近な器だったのです。
参考
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