ビー玉の「ビー」は、ポルトガル語でガラスを指す「ビードロ(vidro)」の略。これが今のところいちばん有力な見方です。よく語られる「規格外のB級品だからB玉」という話のほうは、1990年より前にさかのぼれる文献が見あたらず、あとから作られた説明ではないかと疑われています。
いっぽう、ラムネの瓶にあの玉が入っている理由ははっきりしています。栓だからです。1872年にイギリスのハイラム・コッドが考えた仕組みで、瓶を逆さにして炭酸を詰めると、ガスの圧力が玉を口のほうへ押し上げます。玉は飲み物の中に落ちている飾りではなく、内側から蓋をしている部品でした。
「ビー」は何の略なのか

辞典が採っているのは、ほぼ一つの答えです。ビードロという古い言葉が縮んで「ビー」になった、という説明になります。ただし、この説にも「いつ誰が縮めたのか」を示す決定的な記録があるわけではありません。有力なのは、対立する説より古い足跡が残っているからです。
ビードロはポルトガル語でガラスのこと
ビードロは、ポルトガル語の vidro をそのまま日本語にした言葉です。意味は単純にガラス。江戸時代の日本では、輸入されたガラス器やガラス細工をまとめてこう呼んでいました。
江戸の日本ではガラスそのものを指した
同じころ、オランダ語の diamant(ダイヤモンド)から来たとされる「ギヤマン」という呼び名も使われていました。息を吹き込むとポコンポコンと鳴るガラスのおもちゃが「ビードロ」と呼ばれているのも、この系譜です。つまり「ガラスの玉」を縮めて言うなら、当時の日本語では「ビードロ玉」が自然な形でした。
※ ビードロとは、ポルトガル語の vidro(ガラス)から来た古い言い方で、ガラスやガラス製品を指します。
硝子球メーカー自身が「ビードロ玉」と呼んでいた
ねとらぼの取材に答えたラムネメーカーの倉敷鉱泉は、大正13年創業の日本特殊硝子球工業という会社が、自社の製品を「ガラスマーブル玉」「ビードロ玉」と呼んでいたと指摘しています。業界の内側でその呼び名が生きていたなら、そこから「ビー玉」までの距離はごく短いことになります。
夏目漱石は1916年に「ビー玉」と書いている
語源をたどるとき、いちばん頼りになるのは古い用例です。「ビー玉」という表記は、1916年(大正5年)に新聞連載された夏目漱石の『明暗』にすでに出てきます。しかも注釈なしで、読者が当然わかるものとして書かれています。
ポケットの中でじゃらじゃら鳴る玉
学校帰りの男の子が登場する場面です。
彼の馳け出す時には、隠袋(ポッケット)の中でビー玉の音が、きっとじゃらじゃらした。(夏目漱石『明暗』)
続く場面で、男の子は「今日学校でこんなに勝っちゃった」と言って掌いっぱいの玉を見せます。100年以上前の子どもが、すでに今と同じ遊びをして、今と同じ名前で呼んでいたわけです。
漱石が描いた玉は水色と紫だった
見逃せないのは玉の色です。漱石は「水色だの紫色だのの丸い硝子玉」と書いています。ラムネの栓に使うガラス玉は、中身が見えるように無色透明が基本。少なくとも1916年の時点で、色のついた遊び道具としての玉が「ビー玉」と呼ばれていたとは言えそうです。
フランス語bille説は出どころをたどれなかった
近ごろはインターネット上で、フランス語で玉遊びを意味する bille(ビーユ)が語源だという主張も見かけます。ただ、この説を裏づける文献や、日本語に入った経路を示す資料には行き当たりませんでした。ここでは「そういう主張がある」という紹介にとどめます。
「B玉」説はどこから来たのか

語源の話でいちばんよく流れているのは、実はビードロのほうではありません。「B級品のB」という筋書きのほうです。テレビでも本でも繰り返し紹介されてきました。ところが、この話を追いかけると足もとが意外に柔らかいのです。
語られている中身はA玉とB玉の選別
筋書きはこうです。ラムネの栓に使うガラス玉を検品し、合格品を「A玉」、傷や歪みのある規格外を「B玉」と呼んだ。使えないB玉は子どものおもちゃに回され、それが「ビー玉」になった——。関西では合格品を「ええ玉」と呼んだからA玉なのだ、という尾ひれまで付いています。
よくできた話です。語呂も合うし、「もったいないから子どもに」という筋も日本人の耳になじみます。納得しやすさでは、ビードロ説を完全に上回っています。
この説が疑われている三つの理由
疑問を投げかけているのは、言葉の研究者だけではありません。玉を使っている当事者、つまりラムネのメーカー自身が首をかしげています。
1990年より古い記述が見あたらない
倉敷鉱泉によれば、この説が載っているのは1990年に出た『びんの話』という本より後の書物ばかりで、それ以前をたどれないといいます。漱石が「ビー玉」と書いたのは1916年。語源の説明が、言葉の初出より70年以上あとに現れたことになります。
子どもが工場の符丁を知る道がない
ビー玉は、そもそも子どもの遊び場で定着した言葉です。工場の中だけで通じる等級の呼び分けが、子どもの口に移るには誰かが橋渡しをしなければなりません。その経路を示す記録が、今のところ見つかっていないのです。
ラムネの玉は少々の傷では困らない
もう一つは、現場の感覚からの反論です。瓶の口で実際に密閉を担っているのは「くちゴム」と呼ばれるゴムの部品で、ガラス玉はそこへ押しつけられる役。多少の傷があっても栓としては困らないため、そんなに厳しい等級分けが要ったのか、という疑問が残ります。
作り話と決めつけるのも早い
ただし、A玉・B玉という呼び分けが存在しなかったという話でもありません。国内で唯一ビー玉を作り続けている松野工業は、取材にこう答えています。戦後の大阪には製造会社が6〜7軒あって、そのどこかが等級をそう分けていたと聞いている、と。
呼び分け自体はあったかもしれない。けれど、それが「ビー玉」という言葉の親なのかは、また別の問題です。順番が逆で、すでにあった「ビー玉」に引っぱられてA玉という呼び名が生まれた可能性だって残ります。
下の表は、三つの説の根拠と弱みを突き合わせたものです。
| 説 | 中身 | 強み | 弱み |
|---|---|---|---|
| ビードロ玉説 | ポルトガル語の vidro(ガラス)から来た「ビードロ玉」の略 | 辞典が採用。業界でも「ビードロ玉」の呼称が使われていた | 縮まった時期や経緯を示す記録は無い |
| B玉説 | ラムネ用の規格外品「B玉」が玩具になった | 語呂が合い、話として筋が通る | 1990年以前の記述が見あたらない。子どもへ伝わる経路も不明 |
| bille説 | フランス語で玉遊びを指す bille(ビーユ)から | 音は近い | 裏づけとなる文献や伝来の経路を確認できなかった |
ラムネの瓶にガラス玉が入っているのはなぜか

名前の由来と違って、こちらには発明者も年も特許も残っています。玉が入っているのは、炭酸を逃がさずに閉じ込めるためです。しかも、あの形にたどり着くまでには長い試行錯誤がありました。
コルクの栓は乾くと炭酸が逃げた
炭酸飲料の最初の敵は、栓そのものでした。コルクは乾くと縮み、内側からのガス圧に負けて抜けてしまいます。針金で縛るなどの工夫もされましたが、根本の解決にはなりませんでした。
立てられない卵形の瓶が生まれた
そこで登場したのが、1809年にアイルランドのウィリアム・フランシス・ハミルトンが特許を取った卵形の瓶です。底が丸いので、置こうとしても必ず横に転がる。寝かせておけば中の液体がコルクに触れ続け、乾かずにすむという発想でした。使いにくさを逆手に取った設計だったわけです。広く使われるようになるのは1840年代からだと言われます。
1872年、ハイラム・コッドの玉詰びん
解決策を出したのは、ロンドンのキャンバーウェルで飲料の詰め替え業を営んでいたハイラム・コッド(1838〜1887)でした。1872年にイギリスで、翌1873年にはアメリカで特許を取っています。瓶の首にガラス玉とゴムの輪を仕込んだ、いわゆる玉詰(たまづ)めびんです。
逆さまにして詰めると玉が持ち上がる
詰め方が仕掛けの肝です。瓶を逆さにした状態で中身を満たすと、閉じ込められた炭酸ガスの圧力が玉を上へ押し上げます。押し上げられた玉は口のゴムに密着し、そのまま栓になる。別の部品を持ってきて差し込む必要がありません。
栓をしているのは玉よりゴムの輪
役割を厳密に言うと、玉は「押さえる側」です。気密を保っているのは、瓶の口にはめられたゴムのほう。ビー玉のほうは、ガスの力で押しつけられる重しに近い働きをしています。だからこそ、表面に多少の傷があっても実用上は問題になりません。
くびれと二つのくぼみの役目
ラムネ瓶の独特な形も、玉のために用意されたものです。真ん中あたりがきゅっと細くなり、首の部分には内側へ張り出した二つのくぼみがあります。どちらも飾りではありません。
くびれは玉を底まで落とさないため
玉が瓶の底まで落ちてしまうと、傾けたときに中身をかき混ぜてしまい、泡が噴きこぼれる原因になります。くびれはその手前で玉を受け止める関所です。開けた直後に勢いよく泡が上がるのを抑える役も果たしています。
くぼみは飲むときの玉止め
首にある二つのくぼみは「玉受け」です。くぼみを手前にして傾けると、玉がそこへ転がり込んで止まり、飲み口をふさがなくなります。うまく飲めずに玉がカラカラ鳴ってしまう人は、瓶を回して二つのくぼみを自分のほうへ向けてみるといい、というわけです。
栓の工夫は、この後も続きました。年表にすると、ビー玉栓がどの位置にいるのかが見えてきます。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1809年 | ハミルトンが卵形の瓶を特許化。横に寝かせてコルクの乾きを防ぐ |
| 1872年 | ハイラム・コッドがガラス玉で密閉する瓶をイギリスで特許取得 |
| 1873年 | 同じ仕組みがアメリカでも特許になる |
| 1887年ごろ | 玉詰めびんが日本に登場。輸入瓶を使った製造が始まる |
| 1892年 | アメリカのウィリアム・ペインターが王冠(クラウンキャップ)を特許取得 |
| 1930年代 | イギリスではこのころまで使われ、やがて姿を消す。日本では定着して残る |
ビー玉はどうやって瓶の中へ入るのか

ラムネ瓶の口は、玉が通り抜けないようにわざと絞ってあります。つまり、あとから押し込むことはできません。答えは単純で、瓶のほうを「玉が入る状態」で作り、それから閉じるのです。時代によって閉じ方が違うだけで、考え方はどれも同じでした。
昔は職人が吹きながら玉を入れた
初期のラムネ瓶は、口から底までまるごとガラスでできていました。職人がひとつずつ吹いて成形するので、途中で玉を落とし込む余地があったのです。
上下を別に作ってつなぐ方法
一つは、瓶を上半分と下半分に分けて成形し、玉を入れてから接合するやり方です。古いラムネ瓶の胴に水平の線が残っているのは、この継ぎ目の名残だと説明されています。
口を熱して絞る方法
もう一つは、先に筒状の瓶を作って玉を落とし込み、あとから口の部分を熱して細く絞る方法でした。玉より狭くなるまで絞れば、もう出てきません。どちらも、機械ではなく人の手と火の加減に頼る作業でした。
今はネジ式の口で閉じる
現在流通しているラムネ瓶の多くは、飲み口の部分がプラスチックです。ガラスの胴だけを作っておき、上から玉とくちゴムを入れてから、ネジのように回して口を取り付けます。
分けて作れることが量産を助けた
胴と口を別々に作れると、瓶づくりに職人の吹きわざが要らなくなります。割れにくさや軽さでも有利になり、戦後の大量生産はこの方式に支えられました。手間のかかるオールガラス瓶は、その分だけ貴重なものになっています。
玉を取り出したくなったら
飲み終わったあとの「あの玉が欲しい」という気持ちは、たぶん100年変わっていません。プラスチックの飲み口は外せる作りになっているものが多く、自社サイトで手順を写真付きで案内しているメーカーもあります。瓶を割って取り出すのは危険なので、まずは手元の瓶の注意書きを読むのが先です。
日本のラムネはいつ始まったのか

ビー玉入りの瓶が来るより先に、飲み物としてのラムネが上陸していました。名前はレモネードがなまったものとされます。順番を追うと、瓶のほうがあとから追いついた形です。
黒船が運んできたレモネード
日本にレモネードが伝わったのは幕末。1853年にペリーの艦隊が来航した際に持ち込まれた、と語られています。当時はまだコルク栓の瓶でした。
栓を抜く音を鉄砲と間違えた話
有名なのは、応対した幕府の役人が栓の抜ける「ポン」という音に驚き、鉄砲かと身構えたという逸話です。出どころのはっきりしない語り伝えではありますが、炭酸そのものが未知の飲み物だった時代の空気は伝わってきます。
5月4日が「ラムネの日」になったわけ
国内での商業生産が始まったのは明治に入ってからです。業界では5月4日を「ラムネの日」としています。
1872年、千葉勝五郎の製造販売
由来は1872年(明治5年)5月4日。千葉勝五郎(ちばかつごろう)という人物が東京でラムネの製造販売の許可を得た日だと伝えられています。イギリスでコッドが玉詰めびんの特許を取ったのと同じ年でした。
玉詰めびんが日本に来たのは明治20年前後
ビー玉で栓をする瓶が日本に現れるのは、1887年(明治20年)ごろ。はじめは輸入品の瓶を使っていましたが、まもなく国内でも作られるようになります。
国産化の年は資料によって振れる
国産化の立役者としてよく名が挙がるのは、大阪の徳永玉吉(とくながたまきち)です。ただし年は資料によってまちまちで、1880年の創業とするもの、コッドの特許が切れた1888年に国産第一号を作ったとするものなどがあります。一つの出典だけで年を確定しないほうがよさそうです。
「ラムネ」という名前は瓶で決まっている
おもしろいことに、日本ではラムネという名前が中身ではなく容器で決まります。全国清涼飲料協同組合連合会の説明では、ラムネとは「びんの口にビー玉で栓をした炭酸飲料」のこと。同じ味でもペットボトルに入っていれば、その名では売れないという理屈です。
1978年に出た公正取引委員会の回答
根拠になっているのは、業界団体の問い合わせに対して1978年(昭和53年)に公正取引委員会から出た回答です。そこには「『ラムネ』という名称は、玉詰びんに詰められた炭酸飲料について使用されてきたと理解している」とあります。ビー玉は、飲み物の名前そのものを支える部品でもあったわけです。ちなみに、ビー玉で栓をする飲料を今も作っている国は日本とインドくらいだとも言われます。発祥の地イギリスでは、とうに消えた仕組みでした。
ビー玉とおはじきは同じ工程から分かれる

遊び道具としてのビー玉は、どう作られているのでしょうか。日本硝子製品工業会の説明を読むと、意外な親戚が出てきます。おはじきです。
原料は砕いたガラス瓶
ビー玉もおはじきも、出発点は細かく砕いたガラス瓶です。高温で溶かし、水あめのような状態にしてから形にしていきます。
棒のように垂らして小さく切る
溶けたガラスを棒状に垂らし、決まった長さで切り落とす。ここまでは両者まったく同じ工程です。切られたばかりの塊は、まだ角ばった円柱でしかありません。
転がせばビー玉、潰せばおはじき
運命が分かれるのはこの直後。ラセン状の溝を切った成形機で転がすと、角が取れて球になります。いっぽう回転する円盤の上に落として押し潰せば、あの平たいおはじきになるのです。
130年ほど前の作り方が今も生きている
この「転がして丸める」という単純な方法は、130年ほど前に考え出されたものだと言われています。現在も多くのメーカーが同じ原理で作っており、仕上げに炉で表面だけを溶かして艶を出します。手のひらの玉の丸さは、機械が削ったのではなく、ガラス自身が転がりながら見つけた形でした。
「コッドさん由来」と言われる英語の言葉

もっともらしい語源話に足をすくわれるのは、日本語だけではありません。ビー玉の瓶を発明したコッドは、英語圏でも似たような目に遭っています。
codswallopという言葉に付いた由来話
イギリスの口語に codswallop(コッズワロップ)という言葉があります。意味は「たわごと」「くだらない話」。これについて、コッドの瓶に入った炭酸水をビール好きが「コッドの安酒(Codd’s wallop)」と呼んで見下したのが始まりだ、という説明が広く流布しています。
飲み物の歴史と言葉遊びがきれいに噛み合う、よくできた話です。B玉説とそっくりの魅力があります。
言葉の専門家が認めていない理由
ところが年代を並べると、話が合いません。ビールを指す俗語 wallop の活字での初出は1930年で、コッドが亡くなった1887年よりあとです。codswallop 自体の初出も1958年の寸劇の題名で、そこから1959年のテレビ番組で一気に広まりました。
語源辞典を編むガリー・マーティンは、1870年代から使われていたなら1959年まで活字に残らないのは不自然だとして、この説を民間語源の典型と評しています。「意味にうまく合うから作られた説明」だろう、というわけです。海をへだてて、同じ形のつまずきが起きていたことになります。
ビー玉の「ビー」が何の略なのかは、まだ決着していません。ビードロ説が優勢とはいえ、決め手になる記録が出てきたわけでもない。一方で、瓶の中の玉がしている仕事のほうは、1872年の特許から150年以上ずっと変わらないままです。名前の出どころが宙に浮いたまま、その玉だけが今日も瓶の口をふさぎ、子どもの手のひらでじゃらじゃら鳴っている。由来より仕事のほうが長生きすることもあるのだ、と思わせる小さなガラスです。
参考
- 全国清涼飲料協同組合連合会「ラムネとは」
- 一般社団法人日本硝子製品工業会「ビー玉とおはじきの作り方」
- 青空文庫 夏目漱石『明暗』(1916年)
- ねとらぼ「ビー玉の語源は「B玉(規格外)」? それとも「ビードロ玉」? ビー玉のプロたちに聞いた」
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