提灯と行灯は何が違うのか、あんどんも昔は持ち歩いていた

言葉と論理の話
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提灯(ちょうちん)は持ち歩くための灯り、行灯(あんどん)は置いて使う灯りです。分かれ目は中の火にあります。提灯は固形の蝋燭(ろうそく)を立て、行灯は油を張った皿に灯心を浸して燃やしました。液体の油は傾ければこぼれるので、行灯は水平な場所から動かせません。

ところが「行灯」の「行」は、歩く・出かけるという意味の字です。もとは手にさげて持ち歩く道具で、携帯の役目を提灯に明け渡したあとも名前だけが残りました。今の「持つ提灯と置く行灯」という分担は、はじめからそうだったわけではありません。

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提灯と行灯は、どこで役割が分かれたのか

赤い提灯のイラスト

ふたつを並べると、違いは装飾や格式ではなく、火のつくりと骨組みのつくりに集まります。まず全体を表にしておきます。

くらべる点提灯行灯
中の火蝋燭を立てる(固形)油皿に灯心を浸す(液体)
骨組み螺旋に巻いた割り竹と紙木や竹の枠と紙
たためるかたためるたためない
主な居場所屋外・道・手もと屋内の畳や店先
灯す長さ移動しているあいだ日暮れから就寝まで
燃料蝋燭(高い)菜種油や魚油(安い)

中の火が固形か、液体か

提灯と行灯を決定的に分けているのは、燃やしているものの状態です。片方は立てて持てる固形、もう片方は皿に注ぐ液体でした。この一点から、持ち歩けるかどうかが自動的に決まります。

蝋燭は揺れても倒れても燃え続ける

蝋燭は芯のまわりの蝋が炎の熱でとけ、とけた分だけ吸い上げられて燃えます。とけているのは炎の近くのごく一部で、残りは固まったままです。だから歩く振動でも揺れても、火は芯の先に留まります。提灯が坂道でも階段でも使えたのはこの性質によります。

油皿は水平でなければ使えない

行灯の中身は、油を張った小皿にイグサなどの灯心を浸したものでした。皿を傾ければ油は縁からこぼれ、灯心が油から離れれば火は消えます。畳や床の上に据えるという使い方は、好みではなく必然だったわけです。

※ 灯心(とうしん)とは、油を吸い上げて燃やすための芯のことです。イグサの髄や木綿糸がよく使われました。

骨組みがたためるか、たためないか

火のつくりの差は、外側のつくりにもそのまま表れました。提灯は小さく畳めることを目指し、行灯は倒れずに立っていることを目指しています。

提灯の骨は螺旋に巻いた一本の割り竹

提灯の胴は、細く割った竹を螺旋状に巻いて輪をつくり、そこへ紙を張ったものです。上に口輪、下に底輪を付けると、輪と輪のあいだで紙が蛇腹にたたまれます。使わないときは平たくなり、懐にも入りました。

行灯の枠は形が変わらない

行灯は木や竹で角形や円筒形の枠を組み、四方に紙を張って火を囲みます。紙を張った囲いは風よけであり、火が畳に移らないための壁でもありました。畳めるつくりにする理由がそもそもありません。

数分の屋外か、ひと晩の屋内か

もうひとつ、燃料の値段という事情が働いています。提灯は移動しているあいだだけ灯せばよく、行灯は日暮れから寝るまで灯りっぱなしです。同じ時間を照らすなら、油のほうがはるかに安く済みました。

高い蝋燭は短時間に、安い油は長時間に

和蝋燭は江戸時代を通じて高価な品で、日常的に使えたのは武家や裕福な商家が中心でした。庶民が家のなかで頼ったのは油です。値段の順で言えば蝋燭がいちばん高く、次が菜種油、いちばん安いのが魚油でした。用途ごとに燃料を使い分けていたことになります。

蝋燭用の道具は持ち運べる形が多い

公益財団法人日本のあかり博物館は、蝋燭を燃やす灯火具の特徴を「移動に便利な道具が多い」と整理しています。手燭(てしょく)・ぼんぼり・提灯・強盗提灯(がんどう)。どれも持って動くことを前提にした形です。油を使う道具の一覧が据え置き型に傾くのと、きれいに裏表になっています。

行灯の「行」は、なぜ歩く字なのか

杖を持った旅装束の江戸時代の旅人のイラスト

据え置きの道具に、歩く字が付いている。この居心地の悪さには理由があります。行灯はもともと、外を歩くときに手にさげる灯りでした。

室町の禅僧が中国から持ち込んだ言葉

「あんどん」という読みは、漢字の音を中国風に写した読み方です。辞典によれば室町時代に禅宗の僧たちが広めたもので、当初は携行用の灯火という意味で使われました。字面のとおり「行く灯り」だったのです。

※ 唐宋音(とうそうおん)とは、鎌倉から江戸にかけて禅僧や商人が伝えた漢字の読み方です。「行灯」を「あんどん」、「提灯」を「ちょうちん」と読むのはこの系統にあたります。

『壒嚢鈔』には提灯も並んで載っている

言葉の初出として辞典が挙げるのは、室町中期の『壒嚢鈔(あいのうしょう)』です。一四四五年から翌年にかけて編まれた事典のような書物で、「行灯」を「あんとん」と読むと記されています。興味深いことに、辞典は「提灯」の初出にも同じ書物を挙げています。ふたつの灯りは、日本語のなかにほぼ同時に姿を見せたわけです。

持ち歩く役目は提灯へ移った

『日本大百科全書』は提灯について、携行用の灯火具として「在来の行灯にかわって流行」したと書いています。たためて、風に強く、蝋燭なら傾けても消えない。携帯という一点で提灯が勝ったため、行灯は屋内に居場所を移しました。

提灯の「提」は手にさげる字

提灯のほうも、名前が使い方を語っています。古くは高く掲げる灯りを指して「挑灯」と書き、手にさげる形が現れてから「提」の字が当てられたとされます。提げる灯りだから提灯。名は体を表したまま、今日まで変わっていません。

行灯のほうだけが、名前と中身のずれを抱え込むことになりました。ただし江戸時代にも「手提行灯(てさげあんどん)」や、寝床のそばで使う「有明行灯(ありあけあんどん)」といった手に持てる種類は残っています。歩く字は、まったくの嘘になったわけでもありません。

提灯はいつ、たためるようになったのか

色柄の違う和紙が並んだイラスト

提灯の強みである蛇腹は、最初からあったものではありません。日本に姿を見せてから今の形に落ち着くまで、ずいぶん長い時間がかかっています。

文献は一一一六年、絵は一五三六年

提灯について書かれた最も古い文書は、一一一六年(永久四年)の『朝野群載(ちょうやぐんさい)』とされます。絵として残る最古の例は、そこから四百年あまり下った一五三六年(天文五年)の『日蓮聖人註画讃』です。文字の記録と絵の記録のあいだが、不気味なほど空いています。

初期の提灯は籠に紙を張ったもの

東京都の伝統工芸品の解説によれば、初期の提灯と認められるのは文亀年間(一五〇一〜一五〇四年)に使われた「籠提灯(かごぢょうちん)」です。竹籠に紙を張って火を囲んだもので、当然たためません。この段階の提灯は、持ち運べる行灯とさほど変わらない道具でした。

安土桃山に今の形が決まった

折りたためる提灯の原型ができたのは天文年間(一五三二〜一五五五年)、上下に伸び縮みする現在の形が固まったのは安土桃山時代(一五七三〜一五九六年)と説明されています。『日本大百科全書』が折り畳み式の登場を天正・文禄期とするのも、ほぼ同じ時期を指しています。

割り竹を輪にして紙を張る

この形の要は、竹を細く割って輪にするという発想でした。丸い骨のあいだに紙をたるませておくと、押し縮めたときに紙が骨と骨のすきまへ折り込まれます。竹と紙という身近な材料だけで、伸縮する構造ができあがったわけです。

畳むと蓋に収まる小田原提灯

畳みやすさを突き詰めたのが小田原提灯です。小田原市は、江戸時代中期に地元の提灯職人・甚左衛門(じんざえもん)が考え出したと説明しています。中骨がリング状に独立しているので深く畳み込め、胴が上蓋にすっぽり収まりました。箱根の山を越える旅人にとっては、懐に入る灯りだったことになります。

蝋燭が広まって庶民の手に届いた

構造が完成しても、中に立てる蝋燭が高価なままでは普及しません。江戸時代に入って蝋の生産が各藩で奨励され、提灯は町の道具になっていきました。東京都の解説も、提灯が一般に普及したのは江戸時代だとしています。

和蝋燭の原料は漆や櫨の実

日本のろうそくは仏教とともに伝わった蜜蝋のものに始まり、のちに植物からとる蝋が主役になりました。漆や櫨(はぜ)の実を蒸して搾った木蝋です。とはいえ江戸後期になっても和蝋燭は高級品で、家のなかの常夜灯として使えるものではありませんでした。

夜道は提灯を持つのが決まりだった

それでも提灯が町中に行き渡ったのは、治安上の事情もあります。江戸では夜間に外出するとき提灯を持つことが決められており、持たずに歩けば夜盗と間違われかねませんでした。灯りは足もとを照らす道具であると同時に、自分が怪しい者でないと示す道具でもあったのです。

行灯はどれくらい明るかったのか

天井から吊るした白熱電球の照明のイラスト

時代劇の座敷はよく見えますが、実際の行灯はそこまで明るくありません。照度計を持ち込んで測った人がいます。

測ると二十ルクスほどしかない

国立国会図書館のレファレンス事例には、行灯の明るさを調べた回答が残っています。そこで引かれている石川英輔『大江戸生活体験事情』の測定では、行灯の明るさはおよそ二十ルクスでした。

六十ワット電球の五十分の一

同じ本は、六十ワットの電球を千ルクスとしています。行灯はその五十分の一という計算です。別の資料『あかりのはなし』では行灯をおよそ五ルーメンとし、四十ワットの蛍光灯は行灯の約千五百倍の光を出すと説明しています。測り方は違っても、桁の違いは動きません。

灯火の近くでやっと字が読める

東京油問屋史の追補コラムは、当時の実際の明るさを「灯火の近くでやっと文字が読める程度」と書いています。部屋を明るくする道具ではなく、手もとだけを照らす道具だったわけです。行灯を引き寄せて縫い物をする浮世絵の構図は、写実だったことになります。

灯り代は裏長屋の家賃に並んだ

暗いうえに、安くもありませんでした。油の値段と消費量から、ひと月の照明費がはじき出せます。

油一合四十一文、ひと月六百文

文化五年(一八〇八年)の記録として、行商人から油を買うと一合(百八十ミリリットル)が四十一文だったと伝わります。行灯の消費量は四季の平均で一日四勺から五勺。一日およそ二十文、ひと月で六百文になります。大工の日当、あるいは裏長屋の家賃と同じくらいの金額が灯りに消えていた計算です。

安い魚油は煙って臭った

菜種油が高いので、庶民はイワシなどからとった魚油をよく使いました。ただし魚油は燃やすと煙と悪臭が出るうえ、明るさでも植物油に劣ります。安さと引き換えに、夜の部屋には魚の匂いが立ちこめていたわけです。早寝早起きが当たり前だった暮らしには、こういう裏付けがありました。

暗さに合わせて道具が枝分かれした

光が足りないぶん、行灯は使い道ごとに細かく枝分かれしました。明るくするのではなく、限られた光をどこへ向けるかで工夫したところが面白い。

光をしぼる有明行灯

枕元に置く有明行灯には、窓の付いたものが多くありました。窓を開け閉めして光の量を加減し、夜通し灯しておくための工夫です。辞典はこの有明行灯を「手提行灯」の仲間に数えています。眠るあいだは据えておき、必要なときは持って動く灯りだったわけです。

天井から吊るす八間

湯屋や寄席のように人が集まる場所では、八間(はちけん)と呼ぶ大型の釣り行灯を梁から吊るしました。八方(はっぽう)とも呼ばれます。竹や木で丸や八角の枠を組み、菅笠のように縦の骨を並べて紙を張ったものでした。手もとを照らすのが行灯の役目だとすれば、八間だけは部屋そのものを照らす側に回っています。

提灯と行灯には、どんな種類があるのか

「御用」と書かれた提灯のイラスト

提灯は持ち方で、行灯は置き場所で枝分かれします。名前を見るだけでどう使うものか見当がつく、という点でも似た者どうしでした。

名前どんな灯りか
高張提灯長い竿の先に掲げる。祭礼や捕り物で遠くからも見える
弓張提灯竹の弓で上下に張る。片手で持てて武家や町方が携えた
箱提灯畳むと上下の蓋に収まる。小田原提灯もこの仲間
置行灯座敷や店先に据える行灯の基本形
掛行灯店の軒先に掛ける。屋号を書いて看板を兼ねた
有明行灯枕元に置き、窓で光をしぼって夜通し灯す
八間天井から吊るし、人の集まる部屋全体を照らす
辻行灯町の辻に立てる。街灯の前身にあたる

提灯は持ち方で分かれる

同じ提灯でも、手にさげるか竿に掲げるかで呼び名が変わりました。用途に合わせて胴の大きさや骨の粗さも違います。

竿の先に掲げる高張提灯

高張提灯(たかはりぢょうちん)は、長い竿の先へ大きな提灯を取り付けたものです。祭礼の境内や捕り物の現場のように、多くの人に位置を知らせたい場面で使われました。時代劇で捕方が掲げているあの灯りが、これにあたります。

竹の弓で張る弓張提灯

弓張提灯(ゆみはりぢょうちん)は、しなる竹を弓のように渡して胴を上下に張った提灯です。張ったまま片手で持ち歩け、使わないときは弓を外して畳めます。携帯性と明るさの折り合いを付けた形と言えます。

行灯は置き場所で分かれる

行灯のほうは、座敷に据える置行灯が基本形です。軒先に掛ければ掛行灯、枕元に置けば有明行灯、天井から吊るせば八間。道具そのものの原理は同じで、置き場所と用途が名前を決めています。

町の辻に立てられた辻行灯(つじあんどん)は、街灯の前身にあたるものでした。個人の家の灯りが、公共の灯りへはみ出した例と言えます。

どちらも名前を書き入れる道具だった

紙を張った灯りには、もうひとつ共通の使い道があります。表に文字や紋を書けることです。提灯には家紋や屋号が描かれ、暗がりの中で誰が来たのかを知らせました。捕り物で掲げられた「御用」の二文字は、その極端な例と言えます。江戸手描提灯という工芸が今も残っているのは、この需要があったからです。

掛行灯のほうは、屋号を入れてそのまま看板になりました。夜になると文字が内側から光る看板です。灯りと標識を兼ねるという発想は、今のネオンサインや電飾看板まで途切れずに続いています。

言葉のなかに残った、ふたつの灯り

ぼんやりと座り込んだ男性のイラスト

道具としての提灯と行灯は、石油ランプや電灯に役目を譲りました。それでも言い回しのほうは、しぶとく生き残っています。

昼の行灯は役に立たない

「昼行灯(ひるあんどん)」は、ぼんやりして役に立たない人を指す言葉です。明るい昼間に行灯を灯しても意味がない、という見立てから来ています。二十ルクスという数字を知ったあとだと、この悪口の切れ味がよく分かります。日の光の前では、あの灯りはほとんど見えなかったはずです。

もっとも、この言葉には愛嬌もあります。『忠臣蔵』の大石内蔵助のあだ名として広く知られ、ふだんぼんやりしている人物が大事を成し遂げる型を指すときにも使われてきました。

提灯持ちはもともと先導役

「提灯持ち」は今でこそ、誰かの手先になってその人をほめてまわる人を指します。辞書はその前に、本来の意味を載せています。夜道や葬列で提灯を持って先導する役のことです。

前を歩いて足もとを照らす人が、いつのまにか前を歩いてほめそやす人になった。暗い夜道の実務が、そのまま人間関係の比喩に移ったわけです。

提灯に釣鐘は片思いのしゃれでもある

「提灯に釣鐘(つりがね)」は、つり合わないことのたとえです。どちらも上から吊るす丸い形をしていながら、重さがまるで違うところから来ています。紙と竹の提灯と、青銅の釣鐘。並べてみれば確かに比べものになりません。

辞書はもうひとつの使い方も載せていて、片思いのしゃれとしても使われたとあります。つり合わない相手への思いを、軽口に包んで言うための言葉でもありました。

提灯は名前のとおり提げて歩き、行灯は名前を裏切って部屋の隅に落ち着きました。道具が動くのをやめても、言葉のほうは歩いていた頃の姿のまま残っています。夜ごと畳の上でじっと灯っていたあの四角い箱は、名前だけはずっと出かけたままなのです。

参考

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