1935年(昭和10年)10月5日、大審院は富山県の宇奈月温泉をめぐる裁判で、土地の持ち主の訴えを退けました。温泉の管がかすめていたのは、急な斜面のわずか2坪ほど。持ち主は「管を外すか、周りの土地ごと高く買い取れ」と迫りましたが、判決はこれを「権利の濫用(らんよう)」と呼びました。自分の権利でも、損がほとんどないのに相手の弱みにつけこむ使い方は許されない。この線引きが、のちに民法第1条に書き込まれます。
黒部峡谷の奥から7.5kmの管で湯を引いた

源泉は上流の黒薙温泉
宇奈月温泉は、温泉が湧く場所にできた温泉地ではありません。湯の出どころは、黒部川をさかのぼった山奥の黒薙(くろなぎ)温泉です。大正のころ、そこから全長約7.5kmの引湯管(ひきゆかん)が敷かれました。かかった費用は30万円とされ、当時としては大変な額です。湯が届いた宇奈月は、1923年(大正12年)に温泉地として開かれました。
赤松をくり抜いた木の管3,500本
最初の管は、赤松の丸太の中心をくり抜いた木管でした。1本が長さ約2m・太さ約60cm・重さ約150kg。これを約3,500本、人の力でつないで山の中に埋めたといいます。木管はおよそ50年使われ、交換用の良い材木が手に入りにくくなってから、いまのポリエステル製の管に替わりました。
温泉の経営は鉄道会社へ
宇奈月が開湯した1923年11月には、ふもとの三日市(いまの黒部市の中心部)と宇奈月を結ぶ黒部鉄道も開業しています。温泉の経営はやがてこの鉄道会社に引き継がれ、裁判で訴えられたのも黒部鉄道でした。黒部鉄道は、いまの富山地方鉄道の前身にあたります。
管が通っていた2坪はどんな土地?

112坪の急な斜面のごく一部
7.5kmの道のりの途中で、管はある人が持つ112坪の土地をかすめていました。かかっていたのは、そのうち急な斜面の2坪ほど。2坪は畳4枚分くらいの広さです。家を建てることも畑にすることもできない場所で、管が埋まっていても持ち主の暮らしには何の差し支えもありませんでした。
使う権利が確かめられていなかった
管を通す土地の多くは、持ち主から使う許しを得ていました。ところがこの2坪については、使う権利をはっきりした形で確保していなかったとされます。何十年も続く設備にとって、小さな手続きの漏れは大きな弱みになります。土地の持ち主が替われば、新しい持ち主に「使ってよい」と言える根拠がなくなるからです。
土地を買った人は何を求めた?

1坪26銭で買った斜面
112坪の土地は、元の持ち主から別の人の手に渡り、さらに原告となる人物がこれを買いました。買った値段は1坪26銭。原告は、温泉の管が通っていることを知ったうえで買ったと見られています。裁判では、元の持ち主から土地を使う許しが出ていた事情も、後の持ち主たちは知っていた形跡があると指摘されました。
管を外すか、3,000坪を買い取れ
原告は鉄道会社に「不法に土地を使っている」と申し入れました。管を取り外すか、それができないなら、周りに持っていた荒れ地と合わせて約3,000坪を1坪7円で買い取れという要求です。総額は2万円あまり。26銭で買った土地を7円で売るのは、およそ27倍の値段です。鉄道会社はこれを断りました。
「邪魔を取り除け」という訴え
交渉が決裂すると、原告は管の撤去と、今後も土地を使わせないことを求めて裁判を起こしました。法律の言葉では「妨害排除(ぼうがいはいじょ)請求」と呼ばれる訴えです。持ち主が自分の土地を自由に使えない状態にされているとき、その邪魔を取り除くよう求めることができます。
※ 妨害排除請求とは、所有権などの権利を持つ人が、権利の行使を邪魔している相手に対して邪魔な状態を取り除くよう求めることです。今回なら、土地に入り込んだ管を撤去させることにあたります。
1審と2審は温泉街の暮らしを重く見た

管を外せば温泉街が成り立たない
1審も2審も、勝たせたのは鉄道会社の側でした。2審が重く見たのは、管を外したときの損の大きさです。撤去したり2坪を避けて遠回りさせたりすれば、莫大な費用がかかる。遠回りすれば湯の温度が下がり、工事の間は湯を止めることになる。旅館の収入が落ちれば、宇奈月の集落そのものが衰えかねない。事実上できない話だと判断しました。
土地の値打ちは「二束三文」
反対に、原告の側の損はごくわずかです。2審は、問題の土地の値打ちを「二束三文」と認めました。しかも原告は、管があると知って土地を買っています。損の小さい側が、相手に大きな損を負わせる要求を突きつけている。この形を見て、2審は原告の訴えを実質的に権利の濫用だとしました。
原告は「所有権は絶対だ」と言い返した

自分の土地をどう使うかは自由のはず
原告は大審院に上告します。主張の柱は「個人の財産を守る仕組みのもとでは、所有権は絶対的で他人を寄せつけない」というもの。民法の所有権は、法令の範囲で自分の物を自由に使って利益を得たり処分したりできる権利です。理屈だけなら、許しなく管を通された持ち主が撤去を求めるのは当然にも見えます。
※ 上告(じょうこく)とは、2審の判決に納得できない人が、さらに上の裁判所に判断を求めることです。当時の最上級の裁判所は大審院(だいしんいん)で、いまの最高裁判所にあたります。
当時の民法に「濫用」の条文はなかった
原告の言い分には、法律の文面という強みもありました。昭和10年の民法には、権利の使いすぎを禁じる条文がどこにもなかったのです。条文に書かれていない理由で、所有者の訴えを退けてよいのか。大審院が答えなければならなかったのは、この問いでした。
大審院はどこで線を引いた?

損はわずかで、取り除くのは難しい
大審院はまず、所有権が侵されているなら、裁判で守ってもらえるのが原則だと認めました。そのうえで、例外になる場合を書き分けます。侵害による損失が言うほどのものでなく、侵害を取り除くのが著しく難しい。仮にできても莫大な費用がかかる。宇奈月の2坪は、まさにこの形でした。
弱みにつけこむ高値の要求
判決がもう一つ重く見たのは、原告のねらいです。そうした事情を「奇貨(きか)として」、つまり思わぬもうけ口と見て、不当な利益をはかる。わざわざ土地を買い、撤去を迫りながら、自分の土地を不相当に高い値段で買い取らせようとする。判決はこの一連の行動をひとまとめにして評価しました。
該除去ノ請求ハ単ニ所有権ノ行使タル外形ヲ構フルニ止マリ真ニ権利ヲ救済セムトスルニアラス
(大審院昭和10年10月5日判決)
権利を使うふりをしているだけ
引用した一文の意味は、撤去の請求は所有権を使う「見かけ」を整えているだけで本当に権利を守ろうとしてはいない、ということ。判決は、こうした行為は所有権を不当な利益の道具にするもので「権利ノ濫用ニ外ナラス」と述べました。こうした訴えは守るべき正当な利益を欠くので、それだけで退けてよいとして、上告は棄却されています。
権利の濫用をめぐる3つの裁判

16年前の信玄公旗掛松事件
宇奈月の判決には先がけがあります。山梨県の中央線日野春駅の近くに、武田信玄が旗を掛けたと伝わる松が立っていました。この松が汽車の煙で枯れ、持ち主が国を訴えたのが信玄公旗掛松(しんげんこうはたかけまつ)事件です。1919年(大正8年)の大審院は、権利を使うにも適当な範囲があり、それを超えて他人を害せば不法行為になると判断しました。
守る側と攻める側が入れ替わった
二つの事件を並べると、権利の濫用が使われた向きが逆なのがわかります。旗掛松では、鉄道を走らせる国の側の権利が「行きすぎ」とされました。宇奈月では、土地の持ち主の訴えが行きすぎとされ、退けられた。時代を追って並べると、下の表のとおりです。
| 裁判 | 争われたこと | 濫用とされた側 |
|---|---|---|
| 信玄公旗掛松事件(1919年・大審院) | 汽車の煙で名木の松が枯れた | 汽車を走らせた国 |
| 宇奈月温泉事件(1935年・大審院) | 2坪を通る温泉の管を外せという訴え | 土地の持ち主 |
| 板付基地事件(1965年・最高裁) | 空軍基地の燃料貯蔵設備がある土地を返せという訴え | 土地の持ち主 |
1965年の板付基地事件
戦後の最高裁にも、よく似た構図の判決があります。福岡の板付(いたづけ)空軍基地の一部として国が使っていた土地を、持ち主が返すよう求めた裁判です。土地にはガソリンの地下貯蔵設備がありました。最高裁は1965年(昭和40年)、返したときに国がこうむる損害のほうが持ち主の得る利益より大きいなどとして、請求を権利の濫用と判断しています。
戦後、民法の第1条に書き込まれた

「権利の濫用は、これを許さない」
判例が積み重ねた考え方は、1947年(昭和22年)の民法改正で条文になりました。新しく置かれた第1条は3つの項からなります。私権は公共の福祉に合っていなければならない。権利を使うときも義務を果たすときも、信義に従って誠実に。そして第3項が「権利の濫用は、これを許さない。」です。句読点を除けばわずか13文字。それが民法全体の冒頭に置かれました。
働く人を守る条文にも同じ言葉
「権利の濫用」という言葉は、身近な法律にも出てきます。労働契約法は、はっきりした理由がなく、世の中の常識から見ても妥当でない解雇を「権利を濫用したもの」として無効としています。会社には人を辞めさせる権利がありますが、その使い方には限りがある。宇奈月の判決と同じ考え方です。
便利すぎる道具への心配
ただし、権利の濫用は強い言葉です。公共の利益と個人の利益を比べるだけで決めるようになると、大きな事業の側がいつも勝ちかねません。板付基地事件の後には、こうした使い方を「権利濫用法理の濫用」と呼んで心配する声も出ています。宇奈月の判決が、損の比べ合いに加えて原告の不当なねらいまで見ていた点は、いまも重みを持ちます。
いまなら他人の土地に管を通せる?

2023年に始まったライフラインのルール
2023年(令和5年)4月から、民法に新しいルールが加わりました。新しい条文は、他人の土地に設備を置かないと電気・ガス・水道水などを受けられない場合、必要な範囲で設備を置けると定めています。そのときは、相手の土地への損害がいちばん少ない場所と方法を選ばなければなりません。
前もって知らせ、償いのお金を払う
設備を置く人は、目的・場所・方法を、相手の土地の持ち主や使っている人に前もって知らせる必要があります。土地を使わせる側には、償金(しょうきん)を受け取る権利もあります。宇奈月の時代には、こうした決まりはありませんでした。管を通す側も土地の持ち主も、手がかりは「権利の濫用」という考え方だけだったのです。
判決のあと、湯の道はどうなった?

別の筋道で解決できたという見方
この判決には、法律の研究者から別の解き方も示されています。管を敷いた側は、元の持ち主から土地を使う許しを得ていたらしい。後から買った人たちもそれを知っていた形跡がある。それなら、事情を知りながら不当なねらいで土地を買った人は「使う権利はない」と言えない。この筋道でも鉄道会社を守れた、という見方です。
うなづき湖のほとりに立つ記念碑
現地には「宇奈月温泉木管事件碑」が立っています。場所は温泉街から上流へ向かった宇奈月ダムのうなづき湖のほとりで、峡谷を走るトロッコ電車も見える場所です。碑には、高岡法科大学の学長だった吉原節夫さんの解説文が添えられています。法律を学ぶ人のあいだでは、教科書の最初に出てくる事件の現場として知られています。
ダム工事で付け替えられた引湯管
湯の道そのものも、時代とともに姿を変えました。2001年(平成13年)に完成した宇奈月ダムの建設に合わせて、引湯管は新しい経路に付け替えられています。いまの湯は、途中の施設「とちの湯」を経由して温泉街へ下る道筋です。源泉は昔と同じ黒薙で、宇奈月の旅館や共同浴場に届いています。
判決が守ったのは、7.5kmの管のうちの2坪です。その2坪が欠ければ湯は1滴も届かず、7.5kmすべてが役に立たなくなる。だからこそ高く売れると考えた人がいて、だからこそ裁判所は売らせませんでした。たった13文字の第3項は、つながって初めて意味を持つものを、途中の小さな持ち分を握った人が人質にとることへの答えでもあります。
参考
- 明治学院大学法律科学研究所「〔追録〕宇奈月温泉事件 大判昭10・10・5民集14巻1965頁」(2016年)
- 裁判所「最高裁判所 昭和40年3月9日判決(昭和35(オ)563 土地明渡請求)」
- e-Gov法令検索「民法」
- 黒部・宇奈月温泉やまのは「宇奈月温泉の歴史」
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