鏡餅はなぜ「鏡」と呼ぶのか——上の橙は「代々」の意味

歴史と変遷の話
スポンサーリンク

鏡餅の「鏡」は、顔を映すための鏡ではありません。もとになっているのは、青銅を丸く磨いた古い時代の鏡です。上に載っている橙にも、みかんでは肩代わりしきれない理由があります。

正月のあいだ床の間や玄関に置かれているあの丸い餅は、飾りというより供え物です。名前も形も上に載る実の選び方も、そう捉え直すと筋が通ってきます。

スポンサーリンク

名前・形・上の実——問いは三つに分かれる

鏡餅について引っかかることを並べると、だいたい三つに落ち着きます。なぜ「鏡」と呼ぶのか。なぜ二段に重ねるのか。そして上に橙を載せる意味は何か。三つとも一本の由来から派生したわけではなく、それぞれ別の説明が用意されています。順にたどる前に、部品ごとの見立てと願いを一覧にしておきます。

部品見立て込められた願い
丸い餅昔の丸い銅鏡(三種の神器の八咫鏡とも)神さまが宿る場所になる
二段重ね月と日/陰と陽福が重なる・円満に年を重ねる
八尺瓊勾玉実が落ちないので「代々」続く
串柿天叢雲剣幸せを「かき」集める
裏白裏が白いシダの葉心に裏がない・夫婦円満
昆布語呂合わせよろこぶ・子が生まれる
四方紅四辺を赤くした紙四方からの災いを避ける

気をつけたいのは、この対応表がどこかの機関で決められたものではないという点です。多くは後世の解釈や語呂合わせとして広まったもので、地域や家によって説明が食い違うこともあります。以下も「そう言われている」という距離感で読んでいただくのがちょうどよいはずです。

「鏡」は、姿を映す道具ではなかった

昔の鏡は、丸い青銅の板だった

ガラスの鏡が広まるのはずっと後

いま私たちが思い浮かべる鏡は、ガラスの裏に金属を蒸着した平らな板です。しかし古代の鏡は青銅を円く鋳造し、その面をひたすら磨いたもの。映るといっても輪郭がぼんやり浮かぶ程度で、鏡餅の丸い形はこの銅鏡の姿をなぞっています。

神社の御神体になるほどの道具

銅鏡は化粧道具ではなく、まず祭祀の道具でした。光を反射する円盤は太陽になぞらえられ、神社では御神体そのものとして祀られてきた例もあります。餅を鏡に見立てるという発想は、その神聖さを餅に移す行為だったわけです。

三種の神器の八咫鏡に見立てるという説

橙が勾玉、串柿が剣にあたる

鏡餅ひと揃いを三種の神器に対応させる説明もよく知られています。餅が八咫鏡(やたのかがみ)、上に載る橙が八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、串柿が天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という割り当てです。丸・丸・細長いという形の連想は、たしかによくできています。

「とも言われる」の域を出ない

ただし、この見立てを古代からの正統な意味づけとして扱うのは行き過ぎでしょう。神器になぞらえる説明は「そう言われることもある」という留保つきで語られるのが通例です。実際、スーパーで売られている小さな鏡餅には串柿が付いていないものも多い。三点セットが揃わない鏡餅も、正月飾りとしては何ら欠けていないのです。

平安時代には、もう「餅鏡」と呼ばれていた

『源氏物語』に出てくる新年の場面

『源氏物語』初音の巻には、新年を祝う場面に「歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて」という一節があります。呼び名は「もちいかがみ」と語順が逆ですが、餅と鏡を結びつける発想は千年前にはもう定着していたことになります。

歯固めという正月行事

同じ一節に出てくる歯固め(はがため)は、正月に堅い物を食べて長寿を願う宮中の行事でした。餅は数ある堅い供え物のひとつ。つまり鏡餅は最初から単独の主役だったわけではなく、正月の祝い膳のなかで役割を得ていった品なのでしょう。

飾りではなく供え物——年神さまの居場所として

年神は、正月に家へやってくる神

穀物の神であり、家に福を運ぶ存在

鏡餅は年神(としがみ)への供え物とされています。年神は穀物の神とされ、年の初めに家々を訪れて一年の実りや幸福をもたらす存在。門松やしめ飾りが「ここが訪ね先です」という目印だとすれば、鏡餅は滞在中の座席にあたるのでしょう。

依代という考え方

この座席にあたる物を、民俗学では依代と呼びます。姿の見えない神が一時的に宿る器のことで、鏡餅のほかに木や岩や御幣(ごへい)も依代になりうるものです。

依代(よりしろ)とは、神霊が一時的に宿るとされる物や場所のことです。

置く場所が、供え物であることを物語る

室町以降は床の間へ

室町時代以降、鏡餅は床の間に供えられるようになったとされます。掛け軸や花を飾る床の間は、客を通す座敷のなかで最も格の高い場所。玄関の靴箱の上やテレビの横に置く現在の感覚とは、そもそも置く動機が違っていたわけです。

武家は甲冑の前に供えた

武家では鏡餅を具足餅(ぐそくもち)と呼び、甲冑の前に飾りました。武家餅という呼び名も残っています。のちに触れる鏡開きが「具足開き」と呼ばれたのも、この習わしの名残です。

二段に重ねるのは、重なってほしいものがあるから

月と日、陰と陽

大小二つの餅は、月と日、あるいは陰と陽に対応するという説明が一般的です。二つで一組になって世界が回るという考え方を、そのまま餅の形にしたもの。片方だけでは成り立たない、という含みがあります。

福が重なる・年を重ねる

もう一つは、素直な語呂の連想です。重ねる形そのものに「福が重なる」「円満に年を重ねる」という願いを読み込みます。石川県のように紅白二段で供える地域もあり、色の縁起が上乗せされている例といえるでしょう。

橙が「代々」なのは、二、三年落ちない実だから

冬に熟しても、枝から落ちない

採らなければ二、三年なり続ける

橙という名は「代々」に由来するとされます。根拠は語呂だけではありません。冬に熟した実を採らずにおくと年を越しても落下せず、そのまま二、三年にわたって枝についたままになる性質があるのです。

親と子の実が同じ木に並ぶ

実が残ったまま翌年の実がなれば、一本の木に世代の違う果実が同居します。家が代々続く様子を目で見せてくれる果物、というわけです。縁起は言葉遊びから始まったのではなく、木の性質のほうが先にありました。

春になると、もう一度緑に戻る

回青橙という別名

橙にはもう一つ、回青橙(かいせいとう)という漢名由来の呼び名があります。冬に黄色く熟した実をそのままにしておくと、春先にふたたび緑色へ戻っていくことからついた名前です。熟した果実が若返るように見えるのですから、縁起物として重宝された理由も想像がつきます。

年を越すことが芸になっている果物

落ちない、そして色が戻る。正月飾りに求められる「続く」「巡る」という感覚を、橙は実物の変化で示してくれます。数ある柑橘のなかからこの実が選ばれたのは、味ではなく振る舞いのためでした。

みかんで代えると、意味がひとつ抜ける

橙は生食に向かない

市販の鏡餅にみかんが載っている理由は、実用の側にあります。橙は酸味と苦みが強く、そのまま食べる果物ではありません。ポン酢や薬味として搾って使う香酸柑橘の一種で、飾り終えたあとの扱いに困るのです。

入れ替わったのは形ではなく由来

丸くて橙色という見た目は、みかんでも十分に足ります。ただし「代々」の語呂も、落ちずに年を越す性質も、みかんは引き継ぎません。見た目だけが残り、由来のほうが静かに抜け落ちた。正月飾りとしては、なかなか象徴的な入れ替わりです。

串柿・裏白・昆布——ほかの飾りにも一つずつ願いがある

橙のほかに添えられる品も、一つずつ役割を負っています。顔ぶれは地域や家によって変わりますが、代表的なものを整理しておきましょう。

飾り由来とされる説明
串柿柿を「嘉来」と読み替え、幸せをかき集める
裏白葉の裏が白い=心に裏がない。左右対の葉で夫婦円満
譲葉新しい葉が出てから古い葉が落ちる=家督が譲られる
昆布「よろこぶ」の語呂。「子生」と当てて子孫繁栄とも
御幣四方に手を広げて繁栄を願う。紅は魔除け
四方紅天地四方の災いを払い、繁栄を祈る

串柿は、並べ方まで決まっている

十個を「二・六・二」に配置する

串柿(くしがき)は干し柿を竹串に刺したもので、十個を刺すのが基本形です。しかも並べ方に決まりがあり、両端に二個ずつ、中央に六個。この配置は「いつもニコニコ(二個二個)仲むつ(中六つ)まじく」という語呂に対応しています。

白い粉まで意味を担う

語呂には続きがあり、干し柿の表面に浮く白い粉を白髪に見立てて「ともに白髪の生えるまで」と結びます。飾りの数と位置と粉の色まで願いに割り当てるのですから、正月の縁起担ぎはずいぶん細かい。

串柿を作り続けている土地がある

和歌山県かつらぎ町の四郷地区

正月飾り用の串柿の産地として知られるのが、和歌山県かつらぎ町の四郷(しごう)地区です。広口・滝・東谷・平の四地区をまとめた呼び名で、およそ四百五十年にわたって串柿を作ってきたとされています。

晩秋の山肌が柿色に染まる

晩秋になると、山あいの家々の軒先に串柿がすだれのように吊るされ、斜面一帯が柿色に変わります。「串柿の里」として写真に撮られる風景ですが、あれは全国の鏡餅の上に載るための生産風景でもあるわけです。

「割る」でも「切る」でもなく「開く」

刃物を使わないのには理由がある

切腹を連想させる所作を避ける

固くなった鏡餅は、包丁で切らずに手や木槌で割るのが作法とされます。武家では刃物を当てる所作が切腹を連想させるため避けられた、という説明が広く伝わっているようです。具足餅として甲冑の前に供えていた歴史を思えば、この気の使い方も腑に落ちます。

「割る」という言葉も避けられた

ところが「割る」もまた縁起の悪い言葉です。そこで末広がりに通じる「開く」に言い換えられ、鏡開きという名が定着しました。やっていることは餅を砕く作業なのに、名前のうえでは何ひとつ壊していないことになっています。

一月十一日になったのは、二十日を避けたから

もとは一月二十日の行事だった

鏡開きはもともと一月二十日に行われていたとされます。武家の具足開きがその原型です。日付が動いたのは江戸時代で、三代将軍・徳川家光が四月二十日に亡くなったため、月命日にあたる二十日を避けたと言われています。

松の内の長さも一緒に動いた

代わりの日として選ばれたのが一月十一日。これに伴い、松の内も七日までへ短縮されたと説明されます。ただし将軍の忌日に結びつける話は後年の解釈という見方もあり、断定はできません。

松の内(まつのうち)とは、門松などの正月飾りを飾っておく期間のことです。

日付が地域でそろわない

関東は十一日、関西は十五日か二十日

日付の変更は江戸を中心に広まったため、上方には旧来の習慣が残りました。松の内を七日までとする関東や東北、九州では十一日。松の内が十五日までの関西なら、十五日または二十日に行う地域が多いようです。

京都とその周辺は一月四日

さらに例外もあります。京都府と近隣の一部地域では、鏡開きを一月四日に行う習わしが伝わっています。松の内が明ける前に開いてしまうわけで、全国共通の正解を探そうとすると必ずどこかで食い違う行事なのです。

いまの鏡餅は、少しずつ姿を変えている

中身が最初から切り餅の商品が主流

割る手間も、カビの心配もない

いま店頭に並ぶ鏡餅の多くは、餅の形をしたプラスチック容器の中に個包装の切り餅が入った作りです。鏡開きは容器を開けるだけ。木槌も要らず、飾っているあいだにカビが生えることもありません。

作法だけが形として残った

刃物を避けるための木槌も、割れやすくするために乾かす手間も、この方式では出番がありません。それでも「開く」という言い方だけは律儀に残りました。中身が入れ替わっても呼び名は動かない。橙とみかんの関係にも、どこか似た構図です。

形も色も、全国で同じではない

紅白の鏡餅、三段の鏡餅

石川県では、二段の片方を紅く染めた紅白の鏡餅が用いられます。ほかにも三段に重ねる地域や、砂糖で鏡餅の形を作る例が知られています。白い餅を二段、が唯一の正解というわけではないのです。

意味は後から足されていく

紅白は日本で縁起のよい配色とされるため、二段という形に色の吉祥が上乗せされたと考えられています。飾りの意味は最初に全部決まっていたのではなく、時代ごとに書き足されてきたものが多い。串柿の語呂も昆布の当て字も、その積み重ねの一部でしょう。

鏡餅の鏡は、そこに座る神さまのための道具であって、私たちが覗き込むものではありませんでした。それでも部品をひとつずつ見ていくと、この餅が何を映してきたのかは伝わってきます。落ちない実を選び、柿の数を語呂に合わせ、割る所作を「開く」と言い換える。映っていたのは顔ではなく、その家が何を続けたいと願っていたかのほうでした。

参考

関連記事

だるまの目はどちらから入れるのか——「左目から」の意味
だるまの目は「左目から入れる」と説明されます。ただしこの「左」は、だるま自身から見た左です。向かい合って筆を持つ私たちの側からは、右側の目にあたります。作法を調べていくと、「左目に入れる」と書かれた資料と「向かって右に入れる」と書かれた資料...
初夢の一富士二鷹三茄子はなぜこの3つなのか、四番目以降もある
初夢に見ると縁起がいいとされる「一富士二鷹三茄子」。富士=無事、鷹=高い・運をつかむ、茄子=事を成すという願掛けや、徳川家康ゆかりの駿河説、さらに四扇・五煙草・六座頭と続く話、宝船のおまじないまで紹介します。
しめ縄は何のために張るのか——「しめ」は「占める」
天岩戸(あまのいわと)に張られた最初のしめ縄は、外から悪いものが入らないようにするための縄ではありませんでした。『古事記』では、岩屋から引き出された天照大御神(あまてらすおおみかみ)の背後にこの縄が渡されます。告げられた言葉は「ここから内へ...