日本で毎年の誕生日を祝われたのは、長いあいだ天皇だけだった——ケーキもろうそくも、戦後にやってきた

歴史と変遷の話
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日本で毎年の誕生日を祝ってもらえる人は、長いあいだ一人しかいませんでした。天皇です。ほかの人が年をとるのは元日で、しかも全員いっしょでした。

ケーキを出す。ろうそくを立てる。吹き消して願い事をする。歌をうたう。この一式が普通の家庭に届いたのは、日本ではせいぜい七十数年前のことです。しかも部品ごとに生まれた国も年代もばらばらで、そろって一つの行事になったのはごく最近でした。

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  1. 祝われたのは誰だったか
  2. 教会が「誕生日」と呼んだのは、死んだ日だった
    1. 「最古の誕生日の記録」は、即位の日かもしれない
      1. 創世記に出てくるファラオの日
      2. この記録が「誕生日」だと言い切れない理由
    2. 殉教者の「天に生まれた日」
      1. オリゲネスが挙げた二人の名前
      2. 「誕生日」という語の指す先が入れ替わる
  3. ケーキにろうそくを立てたのは、18世紀ドイツの子ども会
    1. 「古代ギリシャの月の女神」説は、たどると記録が消える
      1. 丸いケーキと月をめぐる話
      2. 供え物の記録はあるが、つながる証拠がない
    2. たどれる最古の記録は、1801年のゲーテ
      1. ゴータで灯った五十本ほどのろうそく
      2. 1881年のスイス、一式そろった最初の記録
    3. 年の数より一本多い「命のろうそく」
      1. 朝から灯して、夜に吹き消す
      2. 煙が願いを運ぶ、という言い伝え
  4. 「ハッピーバースデー」は、幼稚園の朝のあいさつだった
    1. 1893年、ケンタッキーの姉妹がつくった歌
      1. 教室で歌うための「Good Morning to All」
      2. 誕生日の歌詞が印刷物に現れるのは1912年
    2. 2016年まで、この歌には値段が付いていた
      1. 1935年の登録と、1988年の2500万ドル
      2. 2015年9月22日の判決と、1400万ドルの和解
  5. 日本で毎年祝われたのは、天皇の誕生日だけだった
    1. 天長節——唐の皇帝から借りてきた祝日
      1. 748年の玄宗、775年の光仁天皇
      2. 千年ちかく途絶えて、1868年に戻ってくる
    2. 庶民に許された例外は、一歳の一度きり
      1. 初誕生と、背負わせる餅
      2. 「毎年」でないことの意味
  6. 全員が元日に歳をとる国から、誕生日に歳をとる国へ
    1. 法律が「心がけなければならない」と書いた
      1. 1902年の法律は、半世紀ほど無視された
      2. 1949年公布、1950年1月1日施行
    2. 切り替えを急がせたのは、配給の混乱だった
      1. 12月生まれの赤ちゃんが「2歳」でキャラメルをもらう
      2. 若返りと、国際的な統計
    3. 韓国は2023年に、同じ切り替えをした
      1. 満年齢統一法(2023年6月28日施行)
      2. 学年や飲酒は、誕生日と切り離されたまま
  7. ろうそくを吹き消すと、ケーキの菌はどれくらい増えるのか
    1. ピザを食べてから吹き消す、という実験
      1. 1400%という数字の中身
      2. 研究者自身が付けた但し書き
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祝われたのは誰だったか

誕生日の由来は、ケーキやろうそくといった作法から入るとこんがらがります。先に「だれが祝ってもらえたのか」を並べると、話の筋がすっと通ります。

祝われた人いつ・どこどんな祝われ方だったか
王・皇帝古代エジプト〜ローマ国の行事。個人の記念日というより統治の祝日
ローマの一般市民古代ローマ本人ではなく、その人を守る精霊に供え物をする日
殉教者・聖人2世紀以降の教会祝ったのは死んだ日。それを「誕生日」と呼んだ
天皇日本・775年〜天長節。以後長く途絶え、1868年に復活
生まれて一年の子日本・近世〜初誕生。餅を背負わせて祝う。ただし一度きり
だれでも18世紀ドイツ→戦後の日本ケーキとろうそくで、毎年

いま私たちがやっているのは、いちばん下の行だけです。上の五行は、どれも「誰でも毎年」ではありませんでした。

教会が「誕生日」と呼んだのは、死んだ日だった

誕生日を祝う習慣は、途中で一度きれいに否定されています。それも、ヨーロッパで千年以上ものあいだ生活の土台になった教会の側からでした。

その前段として、古代ローマでは誕生日が祝われていました。ただし供え物を受け取るのは本人ではありません。男性ならゲニウス、女性ならユーノーと呼ばれる守護霊が相手でした。詩人ティブッルスの詩には、塩を効かせた小麦の菓子リーバとぶどう酒を三度ずつささげる場面が出てきます。

「最古の誕生日の記録」は、即位の日かもしれない

創世記に出てくるファラオの日

誕生日を祝った最古の記録としてよく挙げられるのが、旧約聖書の創世記40章20節です。「三日目はファラオの誕生日であった」とあり、家臣を集めて宴を開いたと続きます。紀元前の話として引かれることが多く、誕生日の歴史を語る文章はたいていここから書き起こされるほどです。

この記録が「誕生日」だと言い切れない理由

ところが、この一節を素直に誕生日と読むことには研究者から留保が付いています。ファラオは神とされる存在で、その「生まれた日」とは即位の日を指す可能性があるためです。加えて、ファラオの誕生祝いが史料で確認できるのはプトレマイオス朝(紀元前305年〜前30年)以降だという指摘もあります。

つまり「五千年前から誕生日は祝われていた」という言い方は、根拠としてはかなり緩いものです。

殉教者の「天に生まれた日」

オリゲネスが挙げた二人の名前

3世紀の神学者オリゲネスは、誕生日の祝宴をはっきり退けています。聖書のなかで誕生日に宴を開いた人物として名前が残っているのは、ファラオとヘロデだけだというのです。どちらも罪人として描かれる人物でした。生まれた日を大々的に喜ぶのは罪人のすることだ、という論法です。

「誕生日」という語の指す先が入れ替わる

そのかわりに教会が記念日にしたのは、聖人が死んだ日でした。地上の生を終えて天に生まれ直した日、という考え方です。2世紀なかごろに書かれたとされる記録では、殉教(じゅんきょう)したポリュカルポスについて「殉教の誕生日」を祝うという表現が使われています。

教会の暦では、この日をラテン語で「ナターレ」と記しました。生まれた日のほうを指すときには、わざわざ「本来の誕生日」と断る必要があったほどです。誕生日という言葉が、当時は死んだ日を意味していたわけです。

ケーキにろうそくを立てたのは、18世紀ドイツの子ども会

いま私たちがやっている作法の直接の祖先は、古代ではなくドイツにあります。18世紀ごろの子どもの誕生会「キンダーフェスト」です。

「古代ギリシャの月の女神」説は、たどると記録が消える

丸いケーキと月をめぐる話

誕生日のろうそくを説明するとき、決まって出てくる話があります。古代ギリシャで月の女神アルテミスに丸いケーキを供え、月明かりに見立ててろうそくを立てた——という筋書きです。ケーキが丸いのも、ろうそくを立てるのも、これで一気に説明が付いてしまいます。

供え物の記録はあるが、つながる証拠がない

アルテミスの神殿に丸い菓子が供えられたことそのものは、考古学の資料から確かめられるとされます。問題はその先です。神をたたえるためにケーキへろうそくを立てた、という直接の記録は見つかっていません。まして、それが個人の誕生日の祝いだったという証拠はありません。

「供え物の菓子があった」と「誕生日ケーキの起源である」のあいだには、実は大きな溝が空いています。二次情報だけを読み比べていると、この溝はきれいに埋められて「五千年の伝統」として流通します。

たどれる最古の記録は、1801年のゲーテ

ゴータで灯った五十本ほどのろうそく

年齢の数だけろうそくを立てた場面として早い時期に挙げられるのが、詩人ゲーテの回想です。年ごとの出来事を記した『日々年々の記』のなかで、1801年にザクセン=ゴータ公のもとで迎えた52歳の誕生日にふれています。五十本ほどの火が灯った大きなケーキが出たというのです。しかも、これからの年のぶんを立てる余地はもう残っていなかった、と付け加えているのです。

子どものケーキなら未来のぶんの余白があるのに、という含みが読み取れます。当時すでに「年の数+これから」という立て方が共有されていた証拠と言えるでしょう。

1881年のスイス、一式そろった最初の記録

ケーキ・ろうそく・吹き消す、という三点が一続きの儀式として書き留められた最初期の文献は、1881年の民俗学誌『フォークロア・ジャーナル』とされています。スイスの中流家庭の習慣として、年齢の数だけろうそくを立て、ケーキを切る前に吹き消すと記録されました。

ギリシャ神話から一気に現代へ飛ぶのではなく、記録がつながるのはここからです。

年の数より一本多い「命のろうそく」

朝から灯して、夜に吹き消す

ドイツの子どもの誕生会では、朝のうちに火を灯したケーキを本人の前へ運びました。途中で消えないように、日中は何度もろうそくを取り替えます。吹き消すのは夜の集まりのときで、そこがその日の山場でした。

年齢のぶんに一本足すのは、「命の光」と呼ばれる分だったと説明されます。当時は誕生日の子どもが悪いものに狙われやすいと信じられており、火はその守りでもあったとされます。

煙が願いを運ぶ、という言い伝え

吹き消したあとに立ちのぼる煙が、願いを天へ届ける。この言い伝えも同じ土壌から出たものとされています。ただし願い事の作法だけは、いつ誰が始めたかを特定できる記録が乏しく、由来のはっきりしない部分が残ったままです。

ドイツからの移民がこの習慣をアメリカへ持ち込むと、ドイツ語新聞が子どもの誕生会の告知を載せるようになります。1909年ごろには、招かれた客ではなく主役本人が吹き消す形が記録に現れました。1900年代から1920年代にかけて中流家庭の定番になったとされ、1920年代にはシアーズなどの百貨店が年齢別のろうそくを量産するまでになりました。

「ハッピーバースデー」は、幼稚園の朝のあいさつだった

世界でいちばん歌われているとも言われるあの曲は、誕生日のために作られたものではありません。もとは幼稚園で朝のあいさつに使う歌でした。

1893年、ケンタッキーの姉妹がつくった歌

教室で歌うための「Good Morning to All」

幼稚園の教師だったパティ・スミス・ヒルと、作曲を手がけた姉のミルドレッド・ヒル。二人が1893年にシカゴのクレイトン・F・サミー社から出した歌集『Song Stories for the Kindergarten』に、「Good Morning to All」として収められています。歌詞は「おはよう」を繰り返すだけの、覚えやすさだけを狙った短いものでした。

小さな子が最初の一回で覚えられること。それが設計の目的だったので、いま誕生日の席で音程を外す人がほとんどいないのも当然といえば当然です。

誕生日の歌詞が印刷物に現れるのは1912年

このメロディーに「Happy Birthday to You」の歌詞を乗せた形が印刷物で確認できるのは、1912年ごろからです。誰が最初に歌詞を替えたのかは分かっていません。作者不明のまま人の口を伝って広まり、それから二十年ほど経って、突然「持ち主」が現れることになります。

2016年まで、この歌には値段が付いていた

1935年の登録と、1988年の2500万ドル

1935年、サミー社がこの曲の著作権を登録します。登録に名前が載ったのはピアノ編曲を手がけた人物などで、歌詞そのものの作者ではありませんでした。1988年にはワーナー/チャペル・ミュージックが権利を持つ会社を2500万ドルで買収し、この曲の価値だけで500万ドルほどと見積もられています。

2008年ごろの使用料収入は年間200万ドル前後とされ、2010年2月の一件あたりの使用料は700ドルでした。映画やテレビで登場人物に誕生日を祝わせるたび、制作側はこの金額を払っていたことになります。飲食店の店員が客席で別の曲を歌うことがあったのも、無関係ではありません。

2015年9月22日の判決と、1400万ドルの和解

転機は2013年でした。この歌についての映画を作ろうとして1500ドルの使用料を払った映画製作者ジェニファー・ネルソンが、権利の有効性を争って集団訴訟を起こします。判断が示されたのは2015年9月22日です。連邦地裁のジョージ・H・キング判事は、1935年の登録が対象としていたのは特定のピアノ編曲だけだとし、歌詞の権利までは及ばないと結論づけました。

2016年2月、ワーナー/チャペル側は過去に集めた使用料として1400万ドルを支払うことで和解します。同年6月、この曲がパブリックドメインにあることを確認する最終判決が出されました。誰の許可もなく歌える曲になってから、まだ十年ほどしか経っていません。

パブリックドメインとは、著作権の保護期間が終わったなどの理由で、誰でも自由に利用できる状態にある著作物のことです。

できごと
1893年ヒル姉妹の歌集に「Good Morning to All」が収録される
1912年ごろ誕生日の歌詞を乗せた形が印刷物に現れる(作者不明)
1935年サミー社が著作権を登録
1988年ワーナー/チャペルが権利ごと会社を2500万ドルで買収
2013年使用料を払った映画製作者が集団訴訟を起こす
2015年9月22日登録は編曲だけを対象としていた、との判断が示される
2016年1400万ドルで和解。パブリックドメインを確認する判決

日本で毎年祝われたのは、天皇の誕生日だけだった

ここまでは西洋の話です。では日本はどうだったかというと、そもそも個人の誕生日という発想が薄い社会でした。年齢は元日にまとめて増えるものだったからです。

天長節——唐の皇帝から借りてきた祝日

748年の玄宗、775年の光仁天皇

もとは中国の制度です。748年、唐の皇帝である玄宗(げんそう)の誕生日を「天長節」として祝ったのが始まりとされます。名前の出どころは「天長地久」という古い言葉で、天地がいつまでも続くようにという願いが込められています。

日本に入ったのは775年(宝亀6年)です。光仁天皇(こうにんてんのう)が10月13日の誕辰(たんしん)を天長節と称し、その日に官人へ宴を賜り、諸寺の僧尼に国家安泰の祈りをさせたと伝わります。

天長節(てんちょうせつ)とは、天皇の誕生日を祝う祝日のことです。現在の「天皇誕生日」にあたります。

千年ちかく途絶えて、1868年に戻ってくる

ところがこの祝日、その4年後に一度記録が残ったあと、長く途絶えてしまいます。復活したのは1868年(明治元年)9月22日で、明治天皇の誕辰を天長節と称したのがきっかけでした。日本でただ一人の「毎年祝われるはずの人」ですら、祝日としての記録は千年ちかく途切れていたわけです。

庶民に許された例外は、一歳の一度きり

初誕生と、背負わせる餅

数え年の時代にも、盛大に祝われる誕生日が一つだけありました。生まれて満一年になる日、「初誕生(はつたんじょう)」です。乳児が亡くなることの多かった時代に、一歳まで育ったこと自体がめでたかったためとされます。

米一升ぶんの餅を子どもに背負わせたり踏ませたりする一升餅(いっしょうもち)の風習も、この日のものです。「一升」と「一生」を掛けて、一生食べ物に困らないようにという願いが込められていると説明されます。

「毎年」でないことの意味

ここが肝心なところです。初誕生は生涯に一度だけの通過儀礼であって、毎年めぐってくる記念日ではありません。二歳、三歳と同じ日に祝いを重ねる発想は、そこにはありませんでした。

七五三も同じ構造です。決まった年齢のときだけ節目として祝う。日本の伝統的な祝いは、個人の誕生日ではなく年齢そのものに結び付いていました。

全員が元日に歳をとる国から、誕生日に歳をとる国へ

日本人が自分の誕生日に年齢を一つ増やすようになった起点は、1950年1月1日です。それも自然にそうなったのではなく、法律が国民へ呼びかける形で切り替えられました。

法律が「心がけなければならない」と書いた

1902年の法律は、半世紀ほど無視された

実は満年齢そのものは、もっと早くから法的な計算方法でした。1902年(明治35年)の「年齢計算ニ関スル法律」がそれにあたります。ただし暮らしの側は変わりませんでした。役所の書類が満年齢でも、近所づきあいでは数え年。この二重帳簿のような状態が半世紀近く続きます。

数え年とは、生まれた時点を1歳とし、元日を迎えるたびに全員が1歳ずつ加算される数え方です。これに対して満年齢は、生まれた日を0歳とし、誕生日ごとに1歳増えます。

12月31日生まれの人数え年満年齢
生まれた瞬間1歳0歳
翌日(1月1日)2歳0歳
翌年の誕生日2歳1歳
年齢が増える日元日(全員いっせいに)誕生日(一人ずつ)

1949年公布、1950年1月1日施行

そこで作られたのが「年齢のとなえ方に関する法律」(昭和24年法律第96号)です。1949年5月24日に公布され、翌1950年1月1日に施行されました。条文の言い回しがまた独特で、国民は数え年で言い表す従来のならわしを改め、満年齢で「言い表わすのを常とするように心がけなければならない」と書かれています。

罰則があるわけでもなく、いわば国からのお願いです。附則には、政府はこの趣旨を国民が理解し励行するよう積極的な指導を行わなければならない、とまで添えられました。それだけ、数え年が生活に深く根を張っていたということでしょう。

切り替えを急がせたのは、配給の混乱だった

12月生まれの赤ちゃんが「2歳」でキャラメルをもらう

当時の国会審議で挙がった理由のうち、いちばん切実だったのは配給の問題だったとされます。配給量はカロリーをもとに満年齢で計算されるのに、実際の配布は数え年で行われていました。

結果として、12月に生まれた子が翌年の2月には「2歳」としてキャラメルを受け取る。逆に満年齢では50代の人が、数え年で60代とみなされて配給量を減らされる。生後2か月の赤ん坊にキャラメルを渡す制度は、さすがに立ち行きませんでした。

若返りと、国際的な統計

ほかにも理由が並んでいます。全員の年齢表示が一つか二つ若くなることで、戦後の重い空気が少しでも明るくなるという説明。12月生まれの子がすぐ2歳と数えられるため、出生届を正直に出しにくかったという事情。海外の慣行や国際的な統計と合わないという指摘もありました。

誕生日を祝う習慣が広まったのは、この切り替えのあとです。同じころ洋菓子店が全国へ広がり、ケーキが家庭の手に届くようになりました。年齢が誕生日に増えるようになったこと。ケーキが買えるようになったこと。この二つが重なった地点に、いまの誕生会があります。

韓国は2023年に、同じ切り替えをした

満年齢統一法(2023年6月28日施行)

数え年から満年齢への移行は、日本だけの出来事ではありません。韓国では2023年6月28日に「満年齢統一法」が施行され、法的にも日常的にも満年齢へ統一されました。国民の年齢表示が一斉に1歳から2歳ぶん若くなっています。

日本の1950年から数えて73年後です。同じ東アジアで、同じ悩みが同じ形で解かれたことになります。

学年や飲酒は、誕生日と切り離されたまま

ただし全部が変わったわけではありません。小学校への入学は誕生月にかかわらず一律ですし、飲酒や喫煙も生まれた年を基準に認められます。法制処の世論調査では86.2%が満年齢を使うと答えた一方、現地では「実際あまり影響はない」という声も多かったと伝えられました。

数え方が変わっても、暮らしの区切りはすぐには動かない。1902年の法律が半世紀ほど眠っていた日本の例と、よく似た話です。

ろうそくを吹き消すと、ケーキの菌はどれくらい増えるのか

最後に、この習慣について実際に測ってみた人たちの話を。

ピザを食べてから吹き消す、という実験

1400%という数字の中身

アメリカのクレムソン大学の研究チームが2017年に発表した実験があります。被験者にまずピザを食べてもらい、アイシング(砂糖衣)を敷いた上に立てたろうそくを吹き消してもらう。そのアイシングを回収して、細菌の数を調べるという方法でした。

結果は、吹きかけていないものと比べて平均で約1400%増。数字だけ見ると、なかなかの見出しになります。

研究者自身が付けた但し書き

ところが、論文の筆頭著者は自分の結果についてこう述べています。健康上の大きな懸念とは考えていない、と。10万回繰り返したとしても、それで病気になる確率はごくわずかだろうというのです。

%で示された増加率は、もとの数が小さければ大きく跳ね上がります。数字の大きさと危険の大きさは別物だという、ちょうどよい練習問題になっています。

775年、この国で誕生日を毎年祝ってもらえた人は一人でした。しかもその一人ぶんの祝いさえ、いつのまにか千年ちかく止まっていました。初誕生を迎えられた赤ん坊が加わっても、生涯に一度だけです。

それが1950年を境に、一億人を超える数へ増えました。ドイツの子ども部屋で灯された火と、幼稚園の朝のあいさつだった歌が、そこへ合流しています。誕生日の祝い方が新しいというより、祝ってもらえる人の数がようやく全員ぶんになった、という話なのだと思います。

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