「クラバット」は、もともと布の名前ではなく「クロアチアの」「クロアチア騎兵」を指すフランス語でした。17世紀、フランス王の側で戦ったクロアチア出身の騎兵が首に布を巻いて結んでおり、その布が兵士の呼び名で呼ばれるようになったとされます。ネクタイの祖先は、人の名前を借りた布だったわけです。
「クラバット」はもとは何を指した言葉?

1630年ごろは「クロアチアの」という意味
フランス語の辞典をたどると、cravate はまず1630年ごろに「クロアチアの」という意味で現れます。形容詞としては「クロアチア産の馬」「クロアチアの連隊」のように使われ、名詞では丈夫なクロアチア種の馬や、クロアチアの軽騎兵を指しました。どれも今では使われない古い用法です。
首の布を指すのは1650年ごろから
首に巻く布の意味が記録に出てくるのは、そこから20年ほど遅れた1650年ごろです。クロアチア騎兵が巻いていた首布にちなむ、と辞典は説明しています。「クロアチア兵のような首の布」が縮まって、そのまま品物の名前になった形です。
人の呼び名が先にあって、布はあとからその名を借りた。語源の話は「布の名前がどこから来たか」で語られがちですが、辞典の並び順はその逆になっています。
もとの形はクロアチア語の Hrvat
クロアチア語で自分たちを指す語は Hrvat(フルヴァト)です。フランス語は語頭の h を発音しないため、耳で聞いた音が cravate の形に落ち着いたと考えられています。ドイツ語の Krawatte、イタリア語の cravatta も同じ系統の言葉です。
クロアチア騎兵はなぜ首に布を巻いていた?

三十年戦争でフランス側についた軽騎兵
首布の持ち主は、三十年戦争のころにフランスへ雇われたクロアチア出身の傭兵(ようへい)たちでした。英語圏の解説では、1660年にもクロアチア人の連隊がフランスに着いたと書かれています。外国から来た部隊の身なりが、パリの人々の目にとまりました。
※ 三十年戦争(1618〜1648年)とは、ドイツを主な戦場にヨーロッパ各国を巻き込んだ大きな戦争です。各国の軍には、外国から雇われた部隊が数多く加わっていました。
レースの襟の時代に現れた結び目
当時のフランスの宮廷や街では、襟に大きなレースを広げる装いが主流でした。そこへ、首に布を巻いて前で結んだだけの一団が現れます。飾りの少なさと結び目の形が、かえって新しく見えたようです。
首の布はシャツの合わせを押さえたり、寒さや日差しを防いだりする役にも立ちました。結び目を胸元で見せる装いは、実用品として始まったことになります。
兵はレース、将校は絹やモスリン
首布の素材は階級によって違いました。一般の兵はありふれたレースの布、将校は絹や薄手のモスリンを巻いていたとされます。同じ「首の布」でも、近づけば身分が読み取れたわけです。
※ モスリンとは、細い糸で薄く平らに織った、柔らかい布地のことです。
「恋人の贈り物」説は裏づけが薄い
クロアチア兵の首布は、無事の帰りを祈って妻や恋人が贈ったものだった。この説明は日本のネクタイの解説でもよく見かけます。話としては申し分ありませんが、当時の史料が添えられている例はほとんどありません。
「そういう言い伝えがある」と受け取るのが無難でしょう。素材で階級が分かったという記述のほうが、記録としてはずっと具体的です。
フランス宮廷の流行になった17世紀後半

1656年ごろ上流社会へ、1660年代にイギリスへ
日本大百科全書によると、本格的なクラバットがフランスの上流社会に現れたのは1656年ごろです。1660年代にはイギリスへ伝わり、西ヨーロッパの男性の服装に広まりました。兵士の首元から貴族の首元まで、およそ一世代の出来事です。
部隊名になった「ロワイヤル・クラヴァット」
クロアチア人の軽騎兵部隊は、1666年にルイ14世から「ロワイヤル・クラヴァット(王立クラバット)」の名を与えられたとされます(1667年とする資料もあります)。のちのフランス軍の胸甲騎兵(きょうこうきへい)連隊は、この部隊の流れをくむとされています。
軍の正式名称に「クラバット」の文字が入ったことで、首布の呼び名もいっそう定着しました。人を指す語から品物の名前へ。その移り変わりの真ん中に、部隊の名前が置かれていました。
王の首元を整える専任の係
ルイ14世は、自分のクラバットを選んで整える係を置いたと伝えられます。フランス語での呼び名はクラヴァチエ(cravatier)。王の衣装を預かる部署に属していたといいます。毎朝、何本もの中から一本を選んで結ぶ場面が宮廷の日課になりました。
1692年、戦場の着崩しが流行に
1692年、フランス軍がシュタインケルク(現在のベルギー)で戦ったとき、将校たちは布をきちんと結ぶ暇がなかったといわれます。ゆるく首に回し、ねじった端をボタン穴に押し込んだまま戦いに出た、という話です。
その乱れた結び方は「シュタインケルク」と呼ばれ、1720年代ごろまで流行の型になりました。整えるのではなく、あえて崩す。着こなしの発想としては、ずいぶん現代的です。
いまの細長い形はいつできた?

結び方は19世紀のイギリスで広まった
宮廷の大きな布が、毎朝ひとりで結べる細長い一枚になるまでには、結び方と裁ち方の二段階があります。いま多くの人が使う「フォア・イン・ハンド」は、19世紀のイギリスで広まった結び方です。前で一度くぐらせるだけなので、鏡を見なくても手が覚えてしまいます。
名前の由来には二つの説明がある
フォア・イン・ハンド(four-in-hand)は、もともと一人で四頭の馬を操る馬車を指す言葉でした。その御者や愛好家たちの結び方が広まった、という説明がよく知られた形です。
世界大百科事典の説明は別で、結び目から大剣(だいけん)の先までがこぶし四つ分の長さだから、というもの。手の幅で測る呼び名と考えると、これも筋は通ります。どちらが正しいかは決まっていません。
1923年に登録された「斜め裁ち」の特許
ニューヨークのネクタイ職人ジェシー・ラングスドルフは、表地を布目に対して斜め(バイアス)に裁つ方法を考えました。特許の出願は1922年4月12日、登録は1923年2月27日(米国特許1,447,090号)です。斜めに裁った布はほどよく伸び縮みするため、結んでもよれにくく、ほどけば形が戻ります。
芯地を入れて形を保ち、裏の縫い目をゆるくして力を逃がす工夫も合わせて盛り込まれていました。いま売られているネクタイの多くは、この百年前の設計を引き継いでいます。
特許は裁判でも争われた
特許を譲り受けた会社は、まねをした業者を相手に訴訟を重ねました。1928年には米国の連邦控訴裁判所が、ラングスドルフの工夫は業界に新しく役立つものをもたらした、と認めています。証拠として、彼が最初に作ったネクタイ2本が提出されたそうです。
ラングスドルフは1925年に蝶ネクタイの特許も出願し、1929年に登録されました。ありふれて見える一本の布にも、権利をめぐる長い歴史が縫い込まれています。
日本にネクタイが来たのは幕末

ジョン万次郎が持ち帰ったとされる
日本に最初にネクタイを持ち込んだのは、アメリカから帰国したジョン万次郎(中浜万次郎)だとされています。漂流してアメリカ船に救われた万次郎は、1851(嘉永4)年に琉球へ上陸し、長崎奉行所で取り調べを受けました。業界団体の東京ネクタイ協同組合も、ネクタイは万次郎の帰国とともに伝わったと紹介しています。
「襟締」「襟飾」と書かれた時代
幕末から明治にかけて、ネクタイには漢字の訳語が当てられました。1867(慶応3)年の『西洋衣食住』では「襟締(ネッキタイ)」として紹介されています。明治の小説には「襟飾」と書いて「ネキタイ」と読ませる例も残っています。
首を締めるものか、襟を飾るものか。二つの訳語には、初めて見た人の受け止め方の違いが表れているようにも見えます。
国産第一号は1884年の蝶ネクタイ
1884(明治17)年10月、東京で帽子商を営んでいた小山梅吉(こやまうめきち)が、国産第一号の蝶ネクタイを作りました。舶来品を手本に、見よう見まねで仕立てたと伝えられます。国産の歴史は、輸入品をじっくり観察するところから始まりました。
10月1日は「ネクタイの日」
1971(昭和46)年、日本ネクタイ組合連合会は小山梅吉の国産第一号にちなんで、10月1日を「ネクタイの日」と定めました。10月1日から7日までの一週間を「ネクタイウィーク」と呼ぶこともあります。
国産ネクタイは13年で4分の1に

2009年の国産は約636万本
東京ネクタイ協同組合の生産調査によると、2009年の国産ネクタイは635万8千本でした。輸入品を合わせた総数は3,169万2千本。国内で出回るネクタイの8割ほどが、すでに輸入品だったことになります。
2022年は約159万本まで減った
国産の本数はその後ほぼ毎年減り、2019年に300万本、2020年には220万8千本となりました。2021年に248万5千本へ持ち直したものの、2022年は158万6千本です。2009年と比べると、およそ4分の1にあたります。
2005年に始まったクールビズで夏のノーネクタイが広まり、2020年からは在宅勤務も広がりました。首元の布は、毎日の必需品から「場面を選んで締めるもの」へ変わりつつあります。
クロアチアは10月18日を「クラバットの日」に

2003年、円形闘技場に巻いた808メートル
2003年10月18日、クロアチアの団体アカデミア・クラヴァティカは、港町プーラに残る古代ローマの円形闘技場に巨大な赤いネクタイを巻きつけました。長さは約808メートル(2,650フィート)。準備に2年、取り付けに5日をかけ、ギネス世界記録で世界最大のネクタイと認められたと紹介されています。
2008年、議会が記念日に定めた
この催しの日付にちなみ、クロアチア議会は2008年に10月18日を「クラバットの日」と定めました。提案したのは同じアカデミア・クラヴァティカです。当日の首都ザグレブでは、議会前の広場に歴史部隊を再現した兵士たちが集まり、儀仗隊の「クラバット連隊」も加わってきました。
ヨーロッパの言葉に残る「クロアチア」
ネクタイの呼び名には、フランス語から広がった系統と英語の系統の二つがあり、表にすると違いが一目で分かります。
| 言語 | 呼び名 | 系統 |
|---|---|---|
| フランス語 | cravate | 「クロアチアの」から |
| ドイツ語 | Krawatte | cravate と同系統 |
| イタリア語 | cravatta | cravate と同系統 |
| スペイン語 | corbata | cravate と同系統 |
| 英語 | necktie / tie | 「首」+「結ぶもの」 |
| 日本語 | ネクタイ | 英語から |
英語にも cravat という語は残っていますが、いまは首に巻くスカーフ状の布を指すことが多く、ふだんのネクタイは tie と呼ばれます。
フランスの宮廷は、外国から来た兵士の首元を真似て、その布に兵士の呼び名を付けました。名前を取られた側の国は、三百五十年ほどたってから、その名前を自分たちの記念日として取り返しています。首に結ばれているのは、貸したまま返ってこなかった一つの呼び名なのかもしれません。
参考
- Wiktionnaire「cravate」
- コトバンク「ネクタイ」(改訂新版 世界大百科事典/日本大百科全書)
- Academia Cravatica「Jesse Langsdorf and the New Architecture of the Necktie」
- クロアチア議会「The Cravat Day celebrated on the Saint Mark’s Square」
- 東京ネクタイ協同組合「日本におけるネクタイ生産調査」
関連記事






