貯金箱の豚は600年前のジャワ島にもいた、なぜ豚ばかりなのか

モノと道具の話
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豚の貯金箱の由来として、イギリスの陶工が「pygg(ピッグ)という粘土で壺を作ってくれ」という注文を「pig(豚)」と聞き違えた、という話がよく紹介されます。話としてはよくできているのですが、言葉の歴史をたどる人たちはこの筋書きを支持していません。pygg という名前の粘土が使われていた記録が、どこからも出てこないからです。

実際に残っているのは、もっとばらばらな手がかりです。14〜15世紀のジャワ島には豚の形をした素焼きの貯金壺があり、中世のヨーロッパでは豚が蓄えの象徴として扱われていました。そこへ、スコットランドやイングランド北部で陶器の器そのものを「pig」と呼んでいた方言が重なります。豚の貯金箱は一人の陶工の勘違いではなく、離れた土地で別々に育った習慣と言葉が、20世紀初めのアメリカで一つの名前に落ち着いたものと考えるほうが自然です。

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「粘土を豚と聞き違えた」話はどこから来たのか

ろくろで壺を作る陶芸家のイラスト

この説は、英語圏でも日本語圏でも定説のように語られています。ただし出どころをたどると、行き着くのは学術的な調査ではなく一般向けの読み物でした。

語られている筋書き

まず、どんな話なのかを確認しておきます。細部は語り手によって変わりますが、骨格はほぼ共通しています。

オレンジ色の粘土と陶工の取り違え

中世のイギリスでは、オレンジ色をした安い粘土を pygg と呼び、台所の壺や瓶をその粘土で作っていた。人々は余った硬貨をその壺に投げ入れ、いつしか「pygg の壺」と呼ぶようになった。やがて発音が変わって pig と同じ響きになり、注文を受けた陶工が豚の形に作ってしまった——おおむねこういう流れです。

意外な偶然が一つの道具を生んだ、という形になっていて、覚えやすく人に話しやすい構造をしています。広まった理由の半分は、この語り口の良さにあるのでしょう。

出どころは1965年と1989年の本

英語の語源研究者マイケル・クィニオンは、この話の出どころを二冊の一般書にたどっています。一冊はルドルフ・ブラッシュが1965年に出した『How Did It Begin?』、もう一冊はチャールズ・パナティが1989年に出した『The Extraordinary Origins of Everyday Things』です。

どちらの本も、この話の根拠になる資料を示していません。クィニオンはこの説明を「どの部分をとっても事実ではない」と書いています。

記録が合わない二つの点

この話がつまずくのは、細かい解釈ではありません。前提になっている二つの事実そのものが、資料で裏づけられないのです。

pygg という粘土の記録がない

まず、pygg と呼ばれた粘土の用例が見つかりません。オレンジ色であれ何色であれ、その名で呼ばれた土の記録は残っていないとクィニオンは指摘しています。オレンジ色という部分は、釉薬をかけない素焼きの器がそういう色をしていたところから、後から付け足された装飾ではないかと見られています。

言葉が新しすぎる

もう一つは年代です。「pig bank」が印刷物に現れるのは1900年のアメリカの新聞で、シューシティとカラマズーの地方紙に出てきます。「piggy bank」にいたっては、オックスフォード英語辞典がさかのぼれるのは1913年までです。

オックスフォード英語辞典(OED)とは、英語の単語一つひとつについて、いつどんな文献に現れたかを実例で追いかけている大規模な辞典です。

14世紀のイギリスで生まれた言葉が、600年近く記録に残らず、突然アメリカの新聞に現れる。そう考えるのはかなり無理があります。

由来話がきれいに整っていく理由

では、なぜこれほど広まったのでしょうか。由来の話には、語り継がれるうちに角が取れて整っていく性質があります。

一文で腑に落ちる話は強い

「聞き違いで豚になった」は、一文で言い切れて、しかも笑える。対して本当の経緯は、ジャワの壺とヨーロッパの家畜観と英語の方言という三本立てで、どうしても長くなります。伝わりやすさの勝負では、短いほうが強い。

クィニオンは、この話が1990年代にチェーンメールの形で出回ったことにも触れています。出典の書かれていない小話が転送で増幅される、という現代的な広がり方をしたわけです。

日本語の紹介でも定説のように扱われている

日本語で「豚の貯金箱 由来」と検索すると、粘土の聞き違い説を第一の説として挙げるページがずらりと並びます。「14世紀のイギリス発祥」と言い切っているものも珍しくありません。孫引きが重なると、元の一冊に出典が無かったことは見えなくなります。

語られていることと、資料の側で確かめられることを、左右に置いてみます。

よく語られていること記録から言えること
pygg というオレンジ色の粘土があったそう呼ばれた粘土の用例は見つかっていない
14世紀のイギリスで陶工が聞き違えた14世紀の記録はなく、名前が現れるのは1900年前後のアメリカ
pig は動物の豚を指していた北部の英語では1450年ごろから陶器の器も指した
勘違いから豚の形が生まれた豚の形はジャワにも中世ヨーロッパにもあり、英語の名前より古い

豚と壺をつなぐ言葉は別にあった

素焼きの壺のイラスト

粘土の話が崩れても、「豚」と「貯金の壺」が言葉でつながっていたこと自体は消えません。つながりの正体は、作り話よりずっと地味なところにあります。

北の英語で「pig」は陶器の器だった

スコットランドとイングランド北部では、pig という語が動物とは別に、焼き物の器を指す普通の単語として使われていました。

1450年ごろからの用法

この用法はおよそ1450年ごろから確認でき、壺・瓶・かめといった素焼きの容器をまとめて pig と呼んでいました。硬貨を入れる器も、当然ながら pig です。つまり「小銭の pig」という言い方は、豚の形とは無関係に成り立ちます。

小銭をためる「pirlie pig」

スコットランドには pirlie pig(ピルリー・ピッグ)という語があり、こちらは硬貨をためる壺そのものを指しました。前半の pirlie は「突く・押し込む」を意味する古いスコットランド語 pyrl から来たと考えられています。細い口へ硬貨を押し込む動作が、そのまま名前になったわけです。

名前が先にあり、形は後から付いてきた

器を指す pig と、動物の pig。同じ音の二つの語が近づいたとき、形のほうが言葉に引き寄せられた、という順序が見えてきます。

新聞に出た「pig bank」

1900年7月のシューシティ・ジャーナル、同年9月のカラマズー・ガゼットに pig bank が登場します。辞典に pig bank が採られたのが1902年、piggy bank は1913年。名前が定着したのはアメリカで、しかも20世紀に入ってからでした。

大陸から渡った豚の形

豚の形の貯金箱そのものは、ヨーロッパ大陸のほうが先に広く作られていました。クィニオンは、ドイツ系移民が持ち込んだ豚の形と、英語の pig という言葉が新大陸で出会った可能性を挙げています。器の名前と縁起物の形が、移民の国で一つに溶けた——そう考えると筋が通ります。

ジャワ島の「チェレンガン」はいつからあるのか

イノシシのイラスト

豚の形の貯金容器という点で古い例を持つのは、ヨーロッパよりインドネシアでした。しかも言葉のほうも、はっきり豚から来ているのです。

言葉の意味は「イノシシに似たもの」

インドネシア語とジャワ語で貯金箱を celengan(チェレンガン)と言います。語源は celeng、イノシシや豚を意味する言葉です。直訳すれば「イノシシに似たもの」で、名前の中に形がそのまま残っています。

英語の pig が「器」から「豚」へ寄っていったのとは、向きが逆です。こちらは動物の名が先にあって、容器の名前になりました。

王都の跡から出てくる素焼きの豚

ジョグジャカルタのソノブドヨ博物館の解説によれば、この習慣が盛んだったのは14〜15世紀のマジャパヒト王国の時代です。東ジャワの旧王都トロウランの発掘では、テラコッタ製の豚形の貯金容器が数多く出土しています。中に納められていたのは中国の銅銭や、地域で流通していた金属貨幣でした。

マジャパヒト王国とは、13世紀末から16世紀ごろにかけて東ジャワを中心に栄えた王国で、海上交易によって広い範囲に力を及ぼしました。

豚の形をした最古の貯金容器は、さらに古い12世紀のジャワにさかのぼるとする整理もあります。いずれにしても、英語に piggy bank という語が現れるより数百年早い勘定です。

今も貯金箱すべてを指す名前

面白いのは、この語が現代まで生き延びていることです。いまのインドネシアでは、陶器でもプラスチックでもブリキの缶でも、貯める容器はまとめて celengan と呼ばれます。豚の形をしていなくても celengan です。

形は離れたのに、イノシシから来た名前だけが残った。英語で「器」を指していた pig が動物の形を呼び寄せたのとちょうど鏡のような関係で、言葉と形のどちらが先に立つかは土地によって違うことが分かります。

ヨーロッパで豚が蓄えの象徴になったわけ

横を向いた豚のイラスト

では、なぜ多くの土地で選ばれたのが豚だったのでしょうか。農家の暮らしに置いてみると、豚は「増えるもの」と「貯めるもの」の両方を一度に体現する家畜でした。

一度に10頭、年に2回

農林水産省の解説によれば、母豚は年に2回、1回あたり約10頭の子豚を産みます。単純に足せば年間20頭前後で、牛や馬とは桁が違います。一頭を手に入れれば翌年には群れになっている、という増え方です。

殖える財産という発想は、貨幣より先に家畜のほうにありました。豚を「増える富」の象徴として見る感覚は、アジアでもヨーロッパでも共通しています。

残り物を冬の食料に変える家畜

豚のもう一つの働きは、台所から出る残りものを肉に変えることでした。人が食べられない屑を食べ、冬を越すためのたんぱく質として返してくれる。秋に肥らせて塩漬けにすれば、そのまま冬の備蓄になります。

つまり豚を飼うこと自体が、すでに一種の貯金でした。中世の農家にとって、蓄えを入れる器を豚の形にするのは連想ではなく、実感だったはずです。

土の中から出てくる古い豚たち

考古学の側にも記録があります。ドイツで最も古い豚形の貯金容器は13世紀のもので、テューリンゲン州ビレーベンから出土しました。ただしこれは硬貨が納められていた証拠までは確認されていません。

はっきり貯金箱と分かる例としては、1576年ごろのものとされるドイツの城跡の出土品があります。こちらは当時の硬貨が入ったまま見つかりました。ベルギーのブルッヘでは1250〜1350年ごろの赤い土の貯金箱が出ており、豚に限らなければ中世ヨーロッパに広く行き渡っていたことが分かります。

「Schwein gehabt」は運がよかったの意味

ドイツ語には、いまも「Schwein gehabt(シュヴァイン・ゲハープト)」という言い回しがあります。直訳は「豚を手に入れた」で、意味は「運がよかった」。由来は一つに定まっていませんが、市で負けた者に慰めとして子豚が渡された、という説がよく紹介されます。

慰め賞のつもりで渡された子豚が、何でも食べてよく育ち、やがて家計を助ける。負けたはずの人が得をするのですから、たしかに「運がよかった」わけです。

豚の貯金箱はなぜ壊さないと開かないのか

投入口に硬貨を入れる手のイラスト

昔ながらの貯金箱には、硬貨を入れる細い口しかありません。取り出すには割るしかない。不便に見えるこの作りは、手抜きではなく目的そのものでした。

取り出し口を作らないという設計

取り出せない器は、途中で引き出せません。目標の額に届くまで手を付けさせない仕掛けとして、入口だけを残すのは理にかなっています。のちに触れる紀元前2世紀のギリシャの貯金箱も、屋根の部分に硬貨を落とす細い溝が一本あるだけの作りでした。

壊す瞬間が一度きりの区切りになるのも大きいところで、貯め終わりが行事のようになります。割った土くれと硬貨の山を前にする感覚は、口座の残高を見るのとはまるで違う体験だったでしょう。

割ることが前提だった壺

ジャワのチェレンガンも、発掘品の多くは割られた状態で見つかります。完全な形で残っているものが貴重なのは、本来は割って使い切る道具だったからです。

日本にも同じ作りがありました。尼崎信用金庫の世界の貯金箱博物館が所蔵する大正時代の伏見人形「鯛を抱えた恵比寿」は、鯛の口が硬貨の投入口で、取り出し口はありません。割らなければ中身に手が届かない構造です。

鍵と錠に向かった別の道

一方で、壊さない系統も育ちました。中世以降のヨーロッパでは金属製の貯金箱が作られ、錠前や硬貨の戻り止めが付きます。19世紀ドイツのビールジョッキ型の貯金箱には鉄や真鍮、銀が使われ、銘を刻んで貴族どうしで贈り合うものもありました。

割る器は「貯め切る道具」、鍵付きは「持ち運べる金庫」。同じ貯金箱でも、目的が分かれていたことが形から読み取れます。

日本の貯金箱は長く豚ではなかった

鯛を抱えた恵比寿様のイラスト

日本で豚の貯金箱を当たり前に見かけるようになったのは、意外なほど最近です。それまでの主役は、まったく別の顔ぶれでした。

甕から銭箱へ

世界の貯金箱博物館の整理では、日本の貯金箱の原型は縄文時代後期の甕(かめ)に置かれています。稲作が始まり、翌年まく種もみを取っておく必要が生まれたことが背景です。

江戸時代に貨幣の制度が整うと、千両箱や木の銭箱が登場します。とはいえ、これらは商家や武家のもので、庶民が小銭を貯める道具とは少し違いました。

明治の「貯金玉」

明治になり、銀行制度と郵便貯金制度が始まると、一般の人が使う貯金箱が広まります。代表格が宝珠(ほうじゅ)の形をした「貯金玉」で、東京・浅草の今戸焼(いまどやき)の土人形から生まれたとされます。

続いて並んだのも、恵比寿・大黒・福助・招き猫といった縁起物でした。伏見人形の犬や蔵をかたどったものもあり、日本の貯金箱は長く「福を呼ぶ形」の系譜にあったことが分かります。

豚が主役になるのは戦後

豚の貯金箱が日本の家庭に入ってくるのは20世紀に入ってからで、広まる決め手は1961年の銀行の景品だったと言われます。三菱銀行が口座を作った人に配った、ソフトビニール製の子豚「ブーちゃん」です。

配布数は1年で100万個を超えたと伝えられます。資料によって140万個とも150万個とも書かれ、数字は一定しません。当時流行していたダッコちゃん人形の販売数が40万個とされますから、桁の大きさは伝わるでしょう。

紀元前から残る貯金箱

パルテノン神殿のイラスト

最後に、豚よりずっと古い貯金箱をいくつか挙げておきます。形は違っても、やっていることは同じです。

ギリシャの神殿をかたどった土器

西洋で最古とされるのは、小アジアのギリシャ人都市プリエネから出た紀元前2世紀ごろの土器です。ギリシャ神殿の姿をしていて、屋根の妻の部分に硬貨を落とす細い溝が開いています。

神殿の形なのは偶然ではありません。ヨーロッパの貯金箱の先祖は教会や神殿の賽銭箱で、アテネやオリンピアの遺跡からは紀元前300年ごろの同種の土器も見つかっています。

中国・雲南の貯貝器

アジア最古の例として挙げられるのは、中国・雲南省で見つかった約2100年前、前漢の時代の貯貝器(ちょばいき)です。納められていたのは硬貨ではなく、貨幣として使われていた子安貝でした。

貝を貯める器と、豚の姿をした壺と、神殿をかたどった土器。素材も宗教も違うのに、細い口から入れて簡単には出せない、という一点だけが揃っています。

ここまでに出てきた出土品と記録を、古いほうから並べておきました。

時期見つかっているもの
紀元前3〜2世紀ギリシャ神殿をかたどった土器(プリエネ、アテネ、オリンピア)
約2100年前中国・雲南の貯貝器(中身は子安貝)
12〜15世紀ジャワ島の豚形テラコッタ(東ジャワ・トロウラン出土)
13世紀ドイツ・テューリンゲンの豚形土器(硬貨の確認はなし)
1250〜1350年ごろベルギー・ブルッヘの赤い土の貯金箱
1576年ごろドイツの城跡の豚形(当時の硬貨入り)
1900〜1913年アメリカの新聞に pig bank、辞典に piggy bank

2万点を集めた尼崎の博物館

日本で最初の貯金箱専門の博物館は、兵庫県尼崎市にあります。尼崎信用金庫が1984年に開いた「世界の貯金箱博物館」で、職員が趣味で集めた収集品が出発点でした。

収蔵は世界62か国におよび、点数は2万を超えると紹介されています。豚に限らず、車もジョッキも、鯛を抱えた恵比寿も並びます。貯めるという行為が、どれだけ多様な形をとってきたかが一望できる場所です。

こうして並べてみると、豚の貯金箱は誰か一人の思いつきの産物ではないと分かります。別々の土地で「豚は増える」「豚は蓄えだ」と感じた人たちの手が、たまたま同じ形に行き着いた結果なのでしょう。もし壺のことを pig と呼ぶ土地が無かったなら、私たちは今ごろ別の動物の背中に小銭を落としていたのかもしれません。

参考

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