「前へならえ」で腕を伸ばすのはなぜか、いつ誰が始めた号令?

歴史と変遷の話
スポンサーリンク

「前へならえ」で前に伸ばす腕は、前の人を指し示すためのものではありません。自分と前の人のあいだにどれだけの空きがあるかを測る、体ひとつでできるものさしです。

そして、この号令の言い回しは日本で考え出されたものではないとされます。もとは幕末に外国語の号令を訳したもので、戦後には一度、学校から姿を消しました。校庭でくり返されてきた五文字には、年季のまるで違う層がいくつも重なっています。

スポンサーリンク

動作・言葉・制度——三つの層に分けて置く

一つの号令のなかに、体の動き・言葉・制度という三つの層が同居しています。それぞれ生まれた時期が違うので、先に層ごとへ切り分けておきましょう。

中身要点
動作腕で前後の空きを測る目盛りは肩から指先まで。先頭の人だけは測らない
言葉「ならえ」は「習え」ではなく「倣え」慣用句になったのは「右へ倣え」のほうだけ
出どころ幕末の翻訳オランダ語を訳した説とフランス式の伝習説があり、絞りきれない
学校への入口明治の兵式体操1885年、東京師範学校で歩兵操練に代えて導入
制度戦後に一度停止し、のちに復活1946年に使えなくなり、1965年の手びきで戻ったとされる

腕は、前後の空きを測るものさし

「前へならえ」の腕は、前の人に届かせるためではなく、届かない位置で止めるために伸ばします。触れてしまえば近すぎ、指先が空を切ったままなら遠すぎ。腕一本ぶんの空きが、そのまま列の目盛りになります。

伸ばした腕の長さが、そのまま間合いになる

目盛りは肩から指先まで

合図がかかると、先頭を除いた全員が両腕を前に上げます。高さは肩、幅も肩幅、ひじと指は伸ばしきる。前の人に触れない位置まで下がって止まれば、そこが自分の場所です。

ここで面白いのは、目盛りの長さが人によって違うことです。低学年の子どもと大人とでは、肩から指先までの長さに20センチ以上の開きが出ます。同じ号令でも、列の伸び方はクラスごとに変わるわけです。

全員に共通なのは数値ではなく、「自分の腕一本ぶん」という基準のほうです。センチメートルで指示するより、はるかに速くそろいます。

触れないところで止めるのが正解

指先が前の人の背中を押している列は、実は正しくそろっていません。腕が余っているぶんだけ、列全体が前へ詰まっているからです。手引が求めているのも「前の人に触れないように」という止め方で、触れるか触れないかのぎりぎりが目安になります。

ここが子どもにとって難しいところで、「ならえ」と言われると前の人を捕まえに行ってしまう。動作の名前が「前へ」なので、体は前へ行きたがります。号令が求めているのは、その逆の動きです。

「小さく前へならえ」は、目盛りを半分にした形

使うのは、ひじから指先まで

「小さく前へならえ」では、腕を全部伸ばさずに、ひじを曲げて手を胸の前に出します。使う長さはひじから指先までです。文部省の集団行動指導の手引でも、通常の形は「肩から指先まで」・小さい形は「ひじから指先まで」の長さで空きをとると説明されています。

つまり別の動作ではなく、同じ「ものさし」を短く持ち替えただけ。目盛りの長さが半分になるぶん、列も半分ほどの長さに縮みます。

出番は、場所が足りないとき

体育館の壁ぎわ、朝礼台の前、行事の会場。列を縮めないと後ろが入りきらない場面で使われます。運動場では通常の形、屋内では小さい形、と使い分けている学校も少なくありません。

低学年ほど「小さく前へならえ」の出番が多いという話もよく聞きます。人数の割に会場が狭い行事では、列を短く畳めるほうが扱いやすいのでしょう。

先頭の人だけは、何も測らない

腰に手を当てる形が広く使われる

列の一番前の人は腕を出しません。多くの学校では、両手を腰に当てるか、気をつけの姿勢のまま立ちます。手を腰に当てるやり方は手引に定められたものというより、現場で広まった作法という側面が強いようです。

どちらの形をとるにせよ、先頭がやっていることは一つ。動かないことです。

基準になる人がいないと、列は決まらない

列というのは、誰か一人を動かない点として決めないと形が定まりません。全員が同時にそろえようとすると、全員が動き続けることになるからです。隊列の訓練で「基準」という言葉が最初に出てくるのは、そのためだとされます。

先頭は測らない代わりに、測られる側に回っている。列のなかでいちばん地味に見える役が、実は寸法の原点です。

号令腕を伸ばす向き使う長さそろうもの
前へならえ前(両腕)肩から指先まで縦の列の前後の空き
小さく前へならえ前(両腕・ひじを曲げる)ひじから指先まで同上を約半分に詰めたもの
右へならえ右(片腕)肩から指先まで横の列の左右の空き

「ならえ」は「習え」ではなく「倣え」

号令を漢字で書くと「前へ倣え」になります。「習え」と書くのは誤りとされ、辞書の見出しも「倣」の字です。この一字の違いが、号令が命じている中身をよく表しています。

「倣う」は、真似ること

「習う」との分かれ目

「習う」は、人から教わって身につけることを指します。対して「倣う」は、すでにあるものを手本にして同じようにすること。ピアノは習うもので、先生の指づかいは倣うもの、と考えると分かれ目がはっきりします。

列に必要なのは学習ではなく模倣です。号令はその場で誰かの真似をしろと言っているので、「倣」でなければ意味が通りません。

命じられているのは、動作ではなく基準

「前へ倣え」を素直に読めば「前にいる人に倣え」となります。腕を上げろとも、下がれとも言っていません。何を手本にするかだけを指定して、あとは各自に任せる形です。

だから「右へ倣え」なら手本は右どなりの人になり、腕は右へ伸びる。号令が指しているのは方向ではなく、基準にすべき相手の居場所なのです。

慣用句になったのは「右へ倣え」だけ

辞書の語釈は「無批判な追随」

国語辞書で「右へ倣え」を引くと、横隊をそろえる号令という説明のあとに、もう一つの意味が並びます。先に行った人の真似をすること、とくに批判せずに追随することです。他社が値上げしたので右へ倣え、といった使い方をします。

号令から出た言葉が、そのまま同調圧力を指す語になった。もとは列をそろえるための実務的な合図だったことを思うと、意味の移り方はなかなか皮肉です。

「前へ倣え」は比喩にならなかった

一方で「前へ倣え」を「みんなに合わせる」の意味で使う人はほとんどいません。同じ構文で、同じ場面で使われる号令なのに、比喩として定着したのは片方だけでした。

理由は確かめようがありませんが、「右」が政治や立場を連想させる語であることは効いていそうです。前は方向を指すだけで、そこに立場の含みがありません。比喩になるには、字面がもう一つの意味を呼ぶ必要があったのかもしれません。

「前へならえ」か「前にならえ」か

資料によって助詞が揺れている

辞書の見出しは「前へ倣え」ですが、学校向けの資料では「前にならえ」と書かれていることもあります。どちらかが誤りというより、両方が並んで使われてきた状態です。

号令はもともと口で伝えるもので、文字にする機会が長いあいだ限られていました。表記が一本化されないまま現場ごとに固まった、と考えると自然です。

地域差として語られることも多い

「うちの学校は『前に』だった」という話は、出身地の違う人が集まると出てきやすい話題です。ただし都道府県できれいに分かれるという裏づけは見当たらず、学校や指導者ごとの違いと見るほうが無難でしょう。

ちなみに「気をつけ」も、戦前は「気ヲ付ケ」「気ヲ着ケ」「気ヲ著ケ」と表記が動いてきたとされます。号令の文字は、思いのほか落ち着きがありません。

出どころは、幕末の翻訳作業

号令の言い回しは、幕末に西洋式の軍事訓練を取り入れるなかで日本語に置き換えられたものとされます。ただし「誰が最初に訳したのか」は一つに定まっておらず、有力な説が二つあります。

オランダ語を訳させた、韮山の代官

江川英龍と、訳を任された人物

よく挙がるのが、伊豆・韮山(にらやま)の代官だった江川太郎左衛門英龍(えがわ たろうざえもん ひでたつ)です。西洋砲術を学び、農民から兵を組織する構想を持っていた人物で、オランダ語の訓練用語を日本語に訳させたと伝えられます。

訳を任されたのは誰かという点では、資料によって名前が違います。親族の石井修三とするものもあれば、家臣の矢田部卿雲の名を挙げるものもあり、確定はしていません。

訳語は「使いやすさ」で選ばれた

この説で強調されるのは、一般の人が使いやすいように工夫して訳した、という点です。「気をつけ」「右向け右」「回れ右」といった、短く言い切れて遠くまで届く形が選ばれました。

ただし、江川の名とともに挙げられる号令の一覧に「前へならえ」が含まれるかどうかは、資料によって差があります。この一語だけを彼の訳と断定するのは、少し踏み込みすぎでしょう。

フランス軍事顧問団と、幕府の伝習隊

1867年に招かれた教官たち

もう一つの説は、1867年(慶応3年)に幕府が招いたフランス軍事顧問団に始まりを見るものです。この訓練を受けた部隊は伝習隊(でんしゅうたい)と呼ばれ、号令によって隊列を組む方法を学びました。

軍事顧問団とは、他国の軍隊に教官を派遣し、訓練や組織づくりを指導させる集団のことです。

attention が「気をつけ」になった

フランス語の号令としては attention(気をつけ)・salut(敬礼)・arrêter(止まれ)などが伝えられています。当時の記録である『幕末伝習隊』には、隊列の組み方とともに「直レ」「休メ」「気ヲ着ケ」といった号令が書かれているそうです。号令が文字として残った、早い例に数えられています。

訳語のいくつかが、いまも同じ音で残っている。150年以上前に選ばれた言葉が、校庭でそのまま使われ続けているわけです。

どちらか一方に絞りきれない

二つの説は排他的ではない

オランダ式とフランス式は、時期が二十年ほどずれています。前者は1840年代から50年代、後者は1860年代の話。先に訳された言葉が後の訓練でも使われたという重なり方も、十分にありえます。

幕末の日本はオランダ式・フランス式・イギリス式の訓練が同時に入ってきた時期でもありました。号令の語彙が一本の系統に整理できないのは、むしろ当然かもしれません。

確かめられる話と、語られている話

号令の由来は、出典のはっきりした話と、繰り返し語られてきた話が混ざりやすい分野です。下の表では、その二つを分けて置きました。

言われていること確からしさ
号令の言い回しは幕末の西洋式訓練から来ている複数の資料が一致しており、大筋で確からしい
江川英龍が訳させた広く語られるが、訳者の名前が資料ごとに違う
「前へならえ」も江川の訳である一覧に含まない資料もあり、断定はできない
1867年のフランス式伝習で号令が広まった当時の記録に号令の記載があるとされる

学校へ持ち込んだのは、兵式体操

軍隊の号令が校庭に入ってきた入口は、明治の「兵式体操(へいしきたいそう)」でした。体育の授業として軍隊式の訓練を行う科目です。

兵式体操とは、明治期の学校で行われた、軍隊の訓練を取り入れた体操のことです。隊列の訓練や銃を使った動作などを含みました。

森有礼と、1885年の東京師範学校

歩兵操練に代えて導入された

推し進めたのは、のちに初代文部大臣となる森有礼(もり ありのり)です。1885年、東京師範学校でそれまでの歩兵操練に代えて兵式体操が導入されました。師範学校は教員を育てる学校なので、ここに入れれば全国の教室へ広がります。

同じ年の11月には、府県立学校の兵式体操の教員養成に関する規定も定められました。制度と人材の両方が、短い期間で組み立てられていったわけです。

教えたのは、退役した下士官

1886年からは、現役を退いた陸軍歩兵の下士が体操伝習所で養成され、教員として学校へ派遣されました。子どもに号令をかけたのは、体育の専門家ではなく軍隊で隊列を組んできた人たちだったことになります。

号令の言い方やそろえ方の細かい作法が全国でよく似ているのは、この派遣の仕方によるところが大きいとされます。

1911年に「教練」と名を変える

目的として掲げられた三つの気質

兵式体操が掲げた目的は、順良(じゅんりょう)・信愛(しんあい)・威重(いちょう)という三つの気質を養うことでした。体を鍛えるより、集団のなかでの振る舞いを身につけさせる狙いが前面に出ています。

列をそろえる訓練が、体育でありながら道徳教育として語られた。この二重性は、のちの時代まで尾を引きます。

名前が変わっても、中身は隊列訓練

1911年7月、兵式体操は「教練」と改称されました。呼び名は変わりましたが、整列・方向転換・行進といった中身は引き継がれています。

以後、教練は学校教育のなかで比重を増していきます。「前へならえ」がほとんどの日本人に共通の身体記憶になったのは、この時期を通ってきたからです。

戦後、いちど消えて、平仮名になって戻った

敗戦後、軍隊式の色を残す号令は学校から締め出されます。いまも使われているのは、いったん途切れたあとに戻ってきた形です。

1946年、号令が使えなくなる

軍国主義の色を消すために

占領下で学校体育の方針が改められ、文部省は1946年に「気をつけ」の号令を使えないものとしたとされます。戦前の教練と地続きに見えるものを、まとめて外す動きでした。

号令そのものが危険なのではなく、それが呼び起こす記憶のほうが問題にされた。言葉が制度によって止められた、珍しい例です。

空白の期間があった

この時期の体育は、遊びやスポーツを中心に組み直されていきます。整列の指導が完全に消えたわけではないものの、号令をそろって唱えるやり方は表舞台から退きました。

つまり、「前へならえ」を経験していない世代が日本にも存在するということです。

1965年、手びきとともに復活する

戻ってきたときは平仮名だった

1965年(昭和40年)、文部省から「集団行動指導の手びき」が出され、号令は学校へ戻ったとされます。このとき「気ヲ着ケ」は平仮名の「気をつけ」になりました。

表記が変わったことは、位置づけの変化をそのまま映しています。士気を練るための命令から、集団を安全に動かすための合図へ。文字の見た目が、役割の変化を先に告げていました。

その後も資料は作り直されている

のちに文部省は「学校体育実技指導資料 第5集」として『体育(保健体育)における集団行動指導の手引』をまとめ、1993年には改訂版も出しています。腕の高さや長さの目安が書かれているのは、こうした資料のほうです。

号令の作法が全国でおおむねそろっているのは、この系統の資料が長く参照されてきたためでしょう。

学習指導要領に「前へならえ」の五文字はない

書かれているのは行動の種類だけ

いまの学習指導要領の解説を読むと、集団としての行動について挙げられているのは次の四つです。

  • 集合
  • 整とん
  • 列の増減
  • 方向変換

これらの行動の仕方を、体つくり運動からダンスまでの各領域で適切に行う——というのが求められている中身です。

具体的な号令の文句は出てきません。「前へならえ」という言い方も、腕を伸ばす角度も、国が定めた決まりではないわけです。

残っているのは、慣習として

国が求めているのは「整とんできること」であって、その手段は学校に委ねられています。それでも全国の校庭で同じ五文字が響くのは、規則ではなく慣習の力です。

近年は、必要のない場面まで整列させることへの見直しも進んでいます。号令が減った学校もあれば、避難訓練の実効性から残す学校もあり、判断は分かれているようです。

世界の隊列では、腕は横に伸びる

腕を前に伸ばして列をそろえる動作は、世界の軍隊の作法として見ると、あまり一般的ではありません。

英語圏の号令は、左腕を真横へ

dress right, dress

アメリカ陸軍の教範では、横列をそろえる号令として「dress right, dress」が使われます。左端の一人を除く全員が、左腕を肩の高さで真横に伸ばす。手のひらは下に向け、ひじは伸ばしきります。

dressとは、隊列の用語で「列を整える」ことを指します。服装の意味ではありません。

そろえる先は、右どなりの肩

各自は、自分の右肩が右どなりの人の指先に触れる位置まで小さく動いて止まります。腕を出す向きと、見る向きが逆になっているのが特徴です。日本の「右へならえ」に近い発想といえます。

前後をそろえるときは、腕を使わない

cover は目で合わせる

縦の並びをそろえる号令は「cover」で、これは前の人の真後ろに入ることを指します。ここで腕は伸ばしません。前の人の背中を見て、自分の位置を目で決めます。

自衛隊の基本教練でも、横隊の間隔は腕を横に上げて測るとされ、縦隊のほうは腕の長さ程度が目安と説明されています。両腕をそろって前へ突き出す形は、日本の学校でとくに定着した光景といえそうです。

子どもに教える都合

目で測るやり方は、慣れた大人には速い方法です。しかし小学生に「目で見て真後ろに入りなさい」と言っても、そろうまでに時間がかかります。腕という道具を持たせたほうが、確実で早い。

軍隊の作法として輸入された号令が、学校で使われるうちに子ども向けに作り替えられた。前へ突き出された腕は、その手直しの跡なのかもしれません。

号令が命じている中身は、この150年で入れ替わりました。士気を練るための言葉が、いまは安全に人を動かすための合図になっています。それでも動作だけは変わらずに残り、「ならえ」の一声で数十人の腕がいっせいに前へ伸びる。あの数秒のあいだだけ、校庭の空気に目盛りが入ります。

参考

関連記事

運動会はなぜ日本独特なのか、海軍の訓練と村祭りが合わさってできた
全校の児童が同じプログラムに沿って一日を過ごし、入場行進と団体演技があり、校庭の外周には保護者が場所を取る。日本で運動会と呼ばれている行事のこの形は、海外の学校ではほとんど見かけません。百科事典でも「近代日本独特の体育的行事」と説明されてい...
二宮金次郎像はなぜ校庭にあるのか、学校が買った像ではなかった
校庭に立つ二宮金次郎の像は、学校が予算を組んで買ったものではありません。その多くは、村の資産家や地元の団体から贈られてきたものです。像がどっと増えた時期にも、静かに数を減らしているいまの状況にも、この「贈り物である」という一点が効いています...
ラジオ体操はいつから?1928年の誕生からGHQ停止・復活まで
ラジオ体操の歴史をたどると、そこには戦前・戦後を越えた国民運動としての変遷がありました。文化としての定着の理由を解説します。
学校の「起立・礼・着席」はいつから始まったのか、寺子屋にはなかった号令
「起立、礼、着席」――日本の学校で授業の始まりと終わりに必ず行われるこの動作。当たり前すぎて疑問を持つこともありませんが、実はこの習慣、明治時代の学校制度づくりと、軍隊式の集団行動から生まれたものでした。「起立・礼・着席」、答えはこの3つい...