花札はなぜ48枚なのか——南蛮渡来の札と同じ枚数

モノと道具の話
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花札は一組四十八枚で、十二か月に四枚ずつ割り当てられています。南蛮渡来のかるたも一組四十八枚でしたが、こちらは四つの絵柄に十二枚ずつという割り方でした。同じ四十八枚を、縦と横だけ入れ替えた形です。

絵柄が何を意味するのかという話は、この器を先に押さえておくと見通しがよくなります。十二か月の草木・花の咲かない十一月の雨・赤い短冊に書かれた文字。どれも四十八という枠の中で決まっていったものだからです。

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四十八枚を、二通りに割ってみる

四十八という数は、四×十二とも十二×四とも割れます。南蛮渡来の札は前者の割り方で、花札は後者の割り方でした。まずは花札側の内訳を、月の順に開いていきます。

草木その月の四枚
1月光札「松に鶴」/赤い短冊/カス2枚
2月種札「梅に鶯」/赤い短冊/カス2枚
3月光札「桜に幕」/赤い短冊/カス2枚
4月種札「藤に時鳥」/短冊/カス2枚
5月杜若種札「杜若に八橋」/短冊/カス2枚
6月牡丹種札「牡丹に蝶」/青い短冊/カス2枚
7月種札「萩に猪」/短冊/カス2枚
8月光札「芒に月」/種札「芒に雁」/カス2枚
9月種札「菊に盃」/青い短冊/カス2枚
10月紅葉種札「紅葉に鹿」/青い短冊/カス2枚
11月光札「柳に小野道風」/種札「柳に燕」/短冊/鬼札
12月光札「桐に鳳凰」/カス3枚

札の種類は四つに分かれ、こいこいなどで数える点数もそれぞれ違います。杜若(かきつばた)・芒(すすき)・萩(はぎ)と、いまでは読みにくい草木が並ぶのも花札らしいところでしょう。

  • 光札(ひかりふだ)……5枚。20点
  • 種札(たねふだ)……9枚。10点
  • 短冊札(たんざくふだ)……10枚。5点
  • カス札……24枚。1点

四十八という数は、海を渡ってきた

花札の四十八枚は、十六世紀後半にポルトガル人が持ち込んだカードの枚数を受け継いだものです。当時のヨーロッパのカードは、いまのトランプのような五十二枚組ではありませんでした。

十六世紀に置いていかれた札

四つの紋標に、一から九と絵札三枚

神戸市立博物館が所蔵する「天正かるた版木重箱」の解説は、南蛮貿易でもたらされたカルタをこう記します。四種の紋標(もんぴょう)に一から九の数字札と三枚の絵札があり、合計四十八枚でセットになっていた、と。紋標は棍棒・聖杯・貨幣・剣の四つ。数字は九までで、十の札がありません。

この四十八枚という編成が、そのまま日本に上陸しました。「カルタ」という言葉自体、カードを意味するポルトガル語のcartaから来ています。

三池でつくられた国産の版木

輸入品はほどなく国産化され、天正年間(1573〜92年)の元号をとって天正かるたと呼ばれました。同種の現存品に「三池住貞次」の銘があることから、産地は福岡県の三池地方と推定されています。桃山時代の版木が江戸時代に重箱へ仕立て直され、その姿で今日まで残ったという少し変わった資料です。

天正かるたから花札まで、枚数だけが残った

名も絵も変わり、四十八枚は変わらず

天正かるたはやがて、うんすんカルタやめくりカルタといった変種を生みます。紋標の絵柄は日本風に描き替えられ、遊び方も入れ替わりました。それでも一組の枚数だけは動きません。花札もその末端にあたります。

老舗の説明「元になったかるたが四十八枚だったから」

京都の老舗かるた製造元である大石天狗堂は、自社ブログでこの点をはっきり書いています。花札が四十八枚になったのは「元になったかるたが48枚だったから」であり、ちょうど一年が十二か月なので十二枚を月ごとに割り振った、という説明です。作り手の側から見ても、暦が先ではなく枚数が先だったことになります。

縦と横を入れ替えると、何が起きたか

同じ四十八枚でも、四×十二と十二×四では札の性格がまるで変わります。トランプでいうスート(絵柄の組)にあたるものが月になり、数字の順位にあたる部分が四枚に縮んだからです。

観点南蛮渡来の札・天正かるた花札
総枚数48枚48枚
組の数4種類(棍棒・聖杯・貨幣・剣)12種類(1月〜12月の草木)
1組あたり12枚4枚
札の区別1〜9の数字+絵札3枚光・種・短冊・カスの役割
数字の表示ありなし

「組」が月になり、「位」が四枚になった

順位の無い四枚という設計

トランプなら、同じスートの中で二より三が強く、三より四が強いという順位がはっきりしています。花札の同じ月の四枚には、そういう連番の並びがありません。松の四枚は「鶴の光札」「赤い短冊」「カス」「カス」であり、一位から四位までの階段ではないのです。

強さは札でなく、遊び方が決める

光札が二十点、種札が十点という点数も、札の表には印刷されていません。猪鹿蝶や赤短といった役の名前も同様です。七月の猪・十月の鹿・六月の蝶を集めれば猪鹿蝶になりますが、その組み合わせを教えてくれるのは札ではなくルールのほう。同じ四十八枚を使いながら、こいこいと花合わせでは数え方が違います。花札は、札そのものより遊技法の側に情報を持たせた道具だといえます。

きれいには割り切れていない

八月に短冊が無く、十二月はカスが三枚

各月四枚という枠は守られていても、中身の配分はそろっていません。八月の芒には短冊札が無く、代わりに光札と種札が一枚ずつ入ります。十二月の桐にいたっては、光札の「桐に鳳凰」以外の三枚がすべてカス札。四種類を十二か月に均等配分する設計にはなっていないわけです。

四種類が一枚ずつ揃うのは十一月だけ

光札・種札・短冊札・カス札が一枚ずつきれいに並ぶ月は、十二か月のうち十一月の柳しかありません。しかもそのカス札は、赤く塗りつぶされた鬼札(おにふだ)という特殊な一枚。いちばん整った月が、いちばん例外的でもあるわけです。

絵柄になったのは、いつからか

数字を捨てて草木の絵だけになった札は、江戸時代前期の元禄年間(1688〜1704年)ごろに成立した「花合せかるた」にさかのぼるとされています。数字が消えたのは賭博の取り締まりを逃れるためだった——この説明は広く知られたものですが、出来事の順番には少し注意が必要です。

元禄の花合せかるたと、寛政の「武蔵野」

絵を合わせる遊びが先にあった

元禄期の花合せかるたは、和歌ではなく絵を合わせる遊びの札だったとされます。この段階では札の面に歌は書かれていません。数字が無いのは、そもそも数字を使わない遊びのための札だったからという理解のほうが自然でしょう。

和歌を刷って歌がるたに見せる

取り締まりとの駆け引きが表れるのは、その後の段階です。遅くとも寛政年間(1789〜1801年)までに、京都のかるた屋である山口屋儀助(やまぐちや ぎすけ)が「武蔵野」の名で花かるたを商品化しました。松・梅・藤・菖蒲・薄・紅葉のカス札に和歌を刷り込み、教育的とされた歌がるたに見せかける工夫がされていたと指摘されています。禁令をかいくぐる意図はここに読み取れます。

「禁じられたから数字を消した」という話

発祥は寛政の改革より前

寛政の改革(1787〜93年)でめくりカルタが禁じられ、その代わりに花札が生まれた——という筋書きは広く語られてきました。ただしカルタ研究の側からは、花札の発祥がそれよりはるかに前であることを理解できなかった誤解だ、と指摘されています。順番でいえば、札のほうが先に存在していたことになります。

誕生を書いた文献は、ほぼ一つしかない

花札の誕生時期そのものも、実はよく分かっていません。明治期の業界人だった大平与平治(おおひら よへいじ)は、享保年間(1716〜36年)に江戸城のお城坊主が発明したと書き残しました。これが花札の誕生に具体的に触れた最古かつ唯一の文献だとされる一方で、典拠が示されていない点も同時に指摘されています。根拠の細い一本の証言に、いまの通説がぶら下がっている状態です。

十一月と十二月に、咲いている花は無い

十二か月に草木を割り当てるという発想は分かりやすいのですが、最後の二枠だけは季節と噛み合っていません。十一月の柳も、十二月の桐も、その月に花を咲かせる植物ではないからです。

柳が雨の札になった

五月の枠は杜若が使っていた

大石天狗堂は、この十一月について興味深い見立てを紹介しています。柳が似合うのは本来なら五月の情緒だが、五月の枠はすでに「杜若に八橋」が使っている。そこで梅雨や五月雨の風景を、花の季節とは関係なく十一月に置いたのではないか、という説明です。空いていた枠に、行き場のない情景が入ったという読み方になります。

四枚とも別格の十一月

十一月の顔ぶれは、たしかに他の月から浮いています。光札に描かれるのは草木でも動物でもなく、平安時代の書家である小野道風(おののとうふう)。柳に飛びつく蛙を見て発奮したという逸話の場面です。残る三枚も燕・短冊・鬼札と個性が強く、この月だけ別の設計思想で作られたように見えます。

桐が最後に置かれた

鳳凰は梧桐に宿るという伝え

桐の花が咲くのは初夏で、十二月とは重なりません。それでも十二月に置かれたのは、桐が霊鳥の宿り木として神聖視されてきたためだと説明されます。中国には、聖天子の象徴である鳳凰は梧桐(ごどう)に宿り竹の実を食すという伝えがありました。正月の「松に鶴」と年末の「桐に鳳凰」で、一年を吉祥の鳥ではさむ形です。

「キリ」が終わりを指す言葉に

語呂の側からの説明もあります。桐が最後の月に置かれたことから、「キリ」が終わりを意味する言葉として使われるようになったという見方です。ピンからキリまでの「キリ」をここに結びつける説ですが、語源には別の系統の説明もあり、どれか一つに決められる話ではありません。

文字が書かれている札は、三枚だけ

四十八枚のうち、いま文字が印刷されているのは赤い短冊の三枚だけです。松と梅に「あかよろし」、桜に「みよしの」。読み方を取り違えられることの多い、花札で一番有名な文字でもあります。

「あのよろし」ではなく「あかよろし」

「の」に見える字は、変体仮名の「か」

二文字目が「の」に見えるため、「あのよろし」と読まれがちです。しかしこれは「可」をくずした変体仮名(へんたいがな)の「か」で、正しくは「あかよろし」。同じように桜の短冊も「みなしの」と読み違えられがちです。

変体仮名とは、いま使われているひらがなとは別の漢字をくずして作られた、旧字体のかなのことです。明治33年の小学校令施行規則で字体が整理されるまでは、同じ音に何通りもの書き方がありました。

意味の説明には幅がある

大石天狗堂は「実に素晴らしい」の意だとし、「明らかに宜しい」から「明か宜し」を経て「あ可よろし」になったという道筋を示しています。一方で、この解釈を花かるたを知らない人の誤読だとする指摘もあります。読みは「あかよろし」で確定していても、意味のほうは説明が割れていると考えておくのが無難でしょう。

桜の「みよしの」と、無地の青短

御吉野は吉野山の美称

桜の短冊にある「みよしの」は、古くから桜の名所とされた奈良県吉野地方の美称「御吉野」だとされています。文字そのものが桜を指す言葉になっているわけです。ちなみに六月・九月・十月の青い短冊には、何も書かれていません。

江戸から東京へ、和歌が消えた

札に文字を刷る習慣は、かつてはもっと広く行われていました。京都製の「武蔵野」には和歌が何首か記載されていた一方、関東でつくられた花札に和歌はありません。幕末から明治前期にかけて、江戸・東京の人々が文芸臭さを嫌って和歌を廃したと説明されています。いま残る三枚の文字は、その名残の側に立つ数少ない痕跡です。

豆知識:花札には、八十七年間ずっと税がかかっていた

明治十五年(1882年)に施行された刑法には、花札の所持や販売を禁じる明文が置かれませんでした。この抜け穴を突く形で販売に踏み切る商人が現れ、札は取り締まりの対象から店頭の商品へと移っていきます。ところがその二十年後、今度は税務署が花札の前に立ちはだかりました。

一組二十銭の証紙と、製造免許

国税庁税務大学校の解説によれば、骨牌税(こっぱいぜい)は明治三十五年(1902年)に導入されました。製造者には製造所一か所につき六十円、骨牌には一組につき二十銭の証紙を貼る義務が課されます。製造には免許が必要で、無免許でつくった者には三百円以上千円以下という重い罰金が待っていました。

骨牌(こっぱい)とは、カルタや麻雀牌をまとめて指す言葉です。骨牌税は花札やトランプにも課税され、当時のカルタは贅沢品として扱われていました。

導入の背景にあったのは、日清戦争後の苦しい国家財政でした。外債の募集が停滞したため、政府はその穴を埋める新税を必要としていたのです。同じ年には砂糖消費税も導入されています。

生き残った京都の工場

課税で札の値段は上がり、帳簿づくりや製造工程の監視も重い負担になりました。地方の小規模なカルタ屋は次々と廃業し、京都と大阪の業者による寡占が進んだと整理されています。花札が大流行している最中に、作り手のほうが淘汰されていったわけです。

その京都で明治二十二年(1889年)に花札の製造を始めたのが、山内房治郎(やまうち ふさじろう)でした。骨牌税が始まった1902年には、日本初のトランプ製造にも着手しています。この会社が現在の任天堂です。骨牌税は昭和三十二年(1957年)にトランプ類税と改称され、平成元年(1989年)の消費税導入で廃止されました。

ポルトガル船の荷から江戸の賭場へ。明治の税務署を抜けて、京都の小さな工場へ。名前も絵柄も遊び方も何度となく入れ替わったのに、四十八という数だけはどこでも書き換えられずに残りました。手元の一組を数えても、その数は今日と変わりません。

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