元日の朝に届く年賀状は、たいてい十二月のうちに出されたものです。ポストに入れてから元日まで、はがきは郵便局に預かられたまま止まっています。
郵便は一日でも早く届けるための仕組みです。その中で年賀状だけが、わざと止めて、決まった日にそろえて配られます。この例外はいつ、どうして生まれたのでしょうか。
年賀状が歩いてきた道のり

先に全体を並べます。この年表には、制度が年賀状のかたちを変えた回と、年賀状の量が制度を動かした回が交互に出てきます。三列目に、その回はどちらが先に動いたのかを書き添えました。
| 時期 | できごと | 動いた向き |
|---|---|---|
| 11世紀後半 | 藤原明衡が編んだとされる書簡文例集に、正月の挨拶状の文例が並ぶ | 習慣が先 |
| 江戸時代 | 年始の書状を飛脚や使用人が運ぶ。年頭に摺物を配る風習も広がる | 習慣が先 |
| 1871年 | 郵便制度が始まる | 制度が動かした |
| 1873年 | 郵便はがきが発行される | 制度が動かした |
| 1887年ごろ | 年賀状が年末年始の行事として定着する | 年賀状が動かした |
| 1899年 | 年賀郵便の特別取扱が始まる。年内に預かり元日に配る | 年賀状が動かした |
| 1907年 | ポストへの投函が認められ、4億通を突破する | 制度が動かした |
| 1941年 | 物資節約のため特別取扱が廃止される | 制度が動かした |
| 1948年12月15日 | 特別取扱と年賀切手が復活する | 制度が動かした |
| 1949年12月1日 | お年玉付郵便はがきが発売される(1950年用) | 制度が動かした |
| 2003年用ごろ | 発行枚数が約44億枚でピークを迎える | 年賀状が動かした |
| 2017年 | 1月2日の配達が休止される | 年賀状が動かした |
| 2026年用 | 当初発行枚数は7億4841万枚。15年続けて減る | 年賀状が動かした |
元日に届くのは、郵便が止めているから

年賀状が元日に届くのは、配達が速いからではありません。年末に受け付けたはがきを郵便局が抱えたまま元日まで待ち、その朝に一斉に配るからです。
十二月十五日から二十五日ごろ、という期間の意味
受付の開始日が決まっている
年賀状の特別な取り扱いは、毎年十二月十五日から始まります。2026年用の年賀はがきも、この日から受け付ける予定として案内されました。それより前にポストへ入れると、年賀状として扱われずに普通の郵便として届いてしまう場合があります。
締切は「元日に間に合わせるため」の締切
元日に届けたいなら十二月二十五日ごろまでに出すよう案内されるのが通例です。この日付は「これを過ぎると受け取ってもらえない」という意味ではありません。元日に配る束へ間に合わせるための、いわば積み込みの締切です。過ぎて出したものは、年が明けてから順に配られます。
※ 年賀郵便の特別取扱とは、年末に差し出された年賀状を郵便局が預かり、1月1日にまとめて配達する仕組みのことです。受付の開始日や締切の目安は年ごとに案内されます。
「年賀」の朱書きが、止めるかどうかの合図になる
官製はがきには最初から印刷されている
お年玉付きの年賀はがきには、切手にあたる部分の下に「年賀」の文字が刷られています。郵便局はこの表示を見て、元日まで止めておく束へ回すわけです。年賀状の山を普通の郵便から分ける目印が、この二文字。
私製はがきは自分で書き添える
写真店で作ったはがきや自作のカードで出すときは、切手の下に赤い字で「年賀」と書き添えます。書き忘れれば普通郵便あつかいとなり、暮れのうちに相手へ届いてしまう。逆に、年賀はがきを使いながら元日を待たずに届けたいときは、印刷された「年賀」の文字を二重線で消して出します。
速く運ばないことが仕事になる、年に一度の期間
ふつうの郵便との違い
普通のはがきは、差し出した翌日や翌々日に相手へ届きます。速く運ぶほど良い仕事です。年賀状はここが反転します。十二月十五日に出したはがきは半月ほど動かず、元日の朝にようやく相手の郵便受けへ入ります。
元日のあと、二日は休みになった
1月2日の配達は、郵政公社の時代にサービス向上策として復活していました。それが2017年から再び休みになります。枚数の減少と人件費の上昇が理由と説明されました。元日に配りきれなかった分は3日へ回ります。
制度が生まれたのは、年末の郵便が詰まったから

止めて配る仕組みは、風情のために作られたものではありません。年末に郵便が押し寄せて業務が回らなくなったので、年賀状だけを別の流れに逃がした。それが1899年に始まった特別取扱です。
取扱量が跳ね上がり、ふつうの郵便まで遅れた
はがきが習慣を全国へ広げた
1871年に郵便制度が始まり、1873年には郵便はがきが発行されます。安く手軽に送れる紙が現れたことで、それまで一部の人の作法だった年始の書状は誰でも出せるものになりました。1887年ごろには、年賀状は年末年始の行事として定着したとされます。
商売の締めの時期と重なった
年末の取扱量は平常の何十倍にもなりました。年賀状に押されて通常の郵便まで遅れ、商取引の締めに障る事態が生じます。1890年には元日から三日間の集配回数を減らす対応も取られました。困っていたのは郵便局のほうです。
前もって預かる、という解き方
1899年、指定された郵便局で始まった
最初の仕組みは、十二月二十日から三十日までに持ち込めば「1月1日」の消印で元日以降に配達するというものでした。ピークを年内へ前倒しし、配達だけを元日へ送る。仕事の山を二つに割って平らにならす工夫です。翌1900年には全国へ広がり、私製はがきの使用も認められました。
ポストに入れられるようになって4億通
1905年に全国の郵便局で完全実施となり、1907年にはポストへの投函が認められます。窓口へ持ち込む手間が消えた効果は大きく、年賀状は4億通を突破しました。混雑をさばくための制度が、結果として枚数をさらに押し上げたことになります。
戦争で一度なくなり、暮れに戻ってきた
1941年、物資節約を理由に特別取扱が廃止されます。年賀切手の発行もすでに1938年で止まっていました。復活は1948年12月15日。いま受付が始まる日付と同じ日に、この仕組みは戦後の郵便へ戻ってきました。
年始回りの代わりから始まった習慣

もとをたどると、年賀状は訪問の代わりでした。新年に相手の家を回って挨拶するのが本体で、出向けない遠方の相手にだけ書状を送った。代役だったほうが、いまでは本体の顔をしています。
平安の貴族は、正月の手紙の文例を持っていた
十一世紀の書簡文例集
藤原明衡(ふじわらのあきひら)が編んだとされる『雲州消息(うんしゅうしょうそく)』は、『明衡往来(めいごうおうらい)』とも呼ばれる書簡の文例集です。十一世紀後半の成立とされ、二百通を超える手紙が月の順に並びます。冒頭は正月です。年始の挨拶をどう書くかは、この時代からすでに手本のあるものでした。
※ 往来物(おうらいもの)とは、手紙のやりとりの形で書かれた教科書のことです。文例を写しながら文字と作法を覚える教材として、江戸時代まで使われ続けました。
江戸には運ぶ人がいた
江戸時代になると、年始の書状を飛脚や使用人が運ぶようになります。1740年の『書札重宝記』には、年始の書状で使う言葉として「改年」「新春」「初春」「御慶」などが挙げられました。年頭に大小暦(だいしょうごよみ)の摺物を配って交換する風習も広がります。その年のどの月が三十日でどの月が二十九日か、という暦の情報を絵柄に隠した刷り物です。挨拶を紙で送る習慣は、郵便より百年以上早く根を張っていました。
代役が本体を追い越した
遠くの人にだけ書くものだった
訪ねられる相手には足を運び、訪ねられない相手には書く。これが本来の使い分けだったとされます。書状は欠席の埋め合わせで、数もそれほど多くはなりません。年賀状が何百枚にもなるのは、この使い分けが崩れたあとの話です。
安さが宛先を増やした
はがき一枚で済むようになると、会いに行ける相手にも出すようになります。訪問の代わりという理由が薄れ、代わりに「毎年出している相手」という理由が残りました。いま年賀状じまいが難しいと言われるのは、この二つ目の理由のほうが強く効いているからでしょう。
くじを思いついたのは、郵政省ではなかった

戦後の年賀状を立て直したお年玉くじは、役所の企画ではありません。大阪で洋品雑貨の会社を営んでいた民間人が持ち込んだ案でした。
見本とポスターを自分で作って持ち込んだ
発案者は林正治
林正治(1909〜1990年)は京都に住み、大阪で商売をしていた人物です。戦後に年賀状が復活すれば、離ればなれになった人の消息が知れる。くじを付ければ楽しみも生まれ、寄付にも回せる。そう考えて、はがきの見本と宣伝用のポスターを自分で作り、郵政省へ持ち込んだと伝えられます。
初年度は売れ残ったという話
案は同じ年の暮れに採用されます。発売は1949年12月1日、1950年用としてでした。初年度は売れ残りが多く、林が自分の土地を売って買い占めたという逸話が伝わっています。翌年以降の定着ぶりを思うと、危ういところから始まった商品です。
特等はミシンだった
賞品に時代が写る
最初の抽選で用意されたのは、次の四つでした。
- 特等……ミシン
- 1等……純毛の洋服地
- 2等……学童用のグラブ
- 3等……学童用のこうもり傘
家電でも旅行でもありません。縫うための機械。服になる生地。子どもの持ち物。何が欲しかった時代なのかが、そのまま並んでいます。
賞品には法律で上限がある
お年玉付きのはがきは法律に根拠を持つ商品で、賞品の価額には郵便料金の5000倍という上限が定められています。2018年12月の時点でいえば31万円という計算でした。当せんくじの引き換え期限は6か月。抽選日は1951年から1999年まで成人の日にあたる1月15日で、2000年以降は1月の第2月曜日を基本としつつ動く年もあります。
※ お年玉付郵便葉書等に関する法律とは、くじ付きのはがきや切手を発行するための法律です。くじの実施や賞品の上限、寄付金の扱いなどが定められています。
44億枚から7億枚へ

年賀状の枚数はピークの六分の一ほどまで減りました。減り方の速さも、ここ数年で変わっています。
ピークと現在
44億枚を超えた年
お年玉付郵便はがきの発行枚数は、2000年代の前半に約44億枚でピークを迎えました。資料によって「2003年用に44億5936万枚」とするものと「2004年用に約44億5000万枚」とするものがあり、年の数え方が一年ずれます。どちらにしても、いまの六倍近い紙が毎年刷られていました。
2026年用は7億4841万枚
2026年用の当初発行枚数は7億4841万枚で、前年より30.1%減りました。減少は15年続いています。記録が残る2004年用以降でもっとも少ない枚数で、日本の人口でならせば一人あたり六枚ほどの計算になります。
元日に配られる数も落ちている
三年で半分以下
元日に配達された年賀状は、2022年には10億3000万通ありました。2025年は約4億9100万通(速報値)で、前年から34%の減少です。発行枚数を25.7%減らして構えていた日本郵便にとっても、想定を超える落ち込みだったと報じられました。
85円になった影響
2024年10月の料金改定で、年賀はがきは63円から85円になりました。百枚出せば二千二百円の差です。SNSの普及に値上げが重なり、「年賀状じまい」を選ぶ人が増えました。帝国データバンクの調査では、回答した1300社あまりのうち約半数がすでに年賀状をやめたという結果が出ています。
豆知識:賀詞の字数と、句読点を打たない習慣

止めて配る話から離れて、書く側の作法も少しだけ。年賀状のマナーには、理由がはっきりしているものと、後から付いた説明とが混じっています。
四文字が正式で、二文字は略式
「賀正」と「謹賀新年」の距離
年賀状の冒頭に置く言葉を賀詞(がし)と呼びます。正式な形はもともと四文字とされてきました。「謹賀新年」の謹、「恭賀新年(きょうがしんねん)」の恭は、どちらも相手を敬う一字です。
| 字数 | 例 | 意味と扱い |
|---|---|---|
| 一文字 | 寿・福・賀 | めでたさを表すだけ。目上には向かないとされる |
| 二文字 | 賀正・迎春 | 正月を祝う、新春を迎える。敬いの語が省かれた略式 |
| 四文字 | 謹賀新年・恭賀新年 | 謹んで新年を祝う。目上へ出すときの正式な形 |
| 文章 | あけましておめでとうございます | 相手を選ばず使える。丁寧な言い方として扱われる |
「新年あけましておめでとう」は誤りか
「新年」と「あけまして」で意味が重なるため誤用だ、という指摘があります。一方でNHK放送文化研究所は、広く使われているので誤りとはいえないという立場を示しています。マナーとして紹介されている決まりが、言葉の側から見ると絶対ではない一例です。
句読点と「元旦」
打たない理由は一つではない
年賀状に句読点を打たない習慣については、いくつもの説明が並んでいます。
- 区切りや終わりを連想させ、縁起が悪いから
- 毛筆で書いていた時代の文章に、もともと句読点がなかったから
- 句読点は明治以降に読みやすさのため導入されたもので、目上に使うと相手を子ども扱いすることになるから
どれも「とされる」の域を出ません。守っている人が多い作法ほど、由来のほうは曖昧なままだったりします。
元旦は元日の朝
「元旦」の旦は、地平線から日が昇るさまを表す字だと説明されています。そこから元旦は1月1日の朝を指すというのが通説で、元日のほうは一日ぜんぶ。「元旦の夕方」がどこか落ち着かないのは、このためです。日付を書き添えるなら「令和◯年 元旦」までにして、「一月一日 元旦」とは重ねないほうが無難でしょう。
元日の朝に郵便受けへ落ちてくる一束は、十日ほど暗い区分棚で出番を待っていたはがきです。受け取る側に、その十日は見えません。差出人の顔だけが見えるように運ぶところまで含めて、この百二十年余りの仕組みは組み立てられています。
参考
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