しめ縄は「ここから先は神さまの場所」と知らせるために張る縄です。名前の「しめ」は魔除けの言葉ではなく「占める」から来ていて、もとは占有の印でした。最古の場面とされる『古事記』の天の石屋(いわや)では、出てきた天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩屋へ戻らないよう、その背後に渡されています。神話・言葉・作り方の順にたどります。
しめ縄は何のために張るのか?

神の場所と人の場所を分ける境の印
しめ縄の役目をひとことで言えば、境界の表示です。社殿や鳥居、ご神木や岩に張られた縄は、その内側が神を祀る清らかな場所だと示しています。コトバンクに収められた辞典類も、神聖な場所をほかと区別するための縄だと説明しています。外から穢(けが)れを入れないための印、という説明もよく聞かれるものです。内と外を分ける線である以上、どちらの向きにも働くのは自然なことでしょう。
縄は壁ではなく掲示
藁をよった一本の縄で、人や獣が止まるわけではありません。止めているのは物理的な力ではなく、そこに線が引かれていると知らせる情報のほうです。工事現場の立入禁止のロープも、跨ごうと思えば跨げます。それでも多くの人は手前で足を止める。しめ縄は、この「知らせて止める」仕組みを千年以上前から使い続けてきた道具だと言えます。
正月のしめ飾りは年神様を迎える目印
家庭で正月に飾るしめ飾りも、同じ考え方の延長にあります。玄関に飾ることで、家の中が年神様を迎える清らかな場所になったと示すわけです。
神社の縄が一年中張られているのに対し、家の飾りは松の内が過ぎると外します。この「期限つき」の違いは、記事の後半で取り上げます。
始まりは天の石屋の神話

天照大御神の背後に渡された縄
しめ縄の起源としてよく挙げられるのが、『古事記』の天の石屋の場面です。弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴を嫌って、天照大御神は岩屋にこもってしまいました。世界は闇に包まれ、夜ばかりが続くことになります。
神々の祭りに誘われて天照大御神が少し顔を出したところで、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)がその手を取って外へ引き出しました。すかさず布刀玉命(ふとだまのみこと)が、縄を天照大御神の後ろに引き渡します。
原文は「ここから内へはお戻りになれません」
國學院大學の「古事記ビューア」によると、このとき布刀玉命が申し上げた言葉は原文で「従此以内、不得還入」。訓読すると「此(これ)より内(うち)に、え還り入りまさじ」となります。意味は「ここから内側へは、もうお戻りになれません」。縄が向き合っている相手は、外から来る災いではありません。せっかく出てきた太陽の神のほうでした。
入れないためではなく戻さないための縄
いまの神社の説明では、しめ縄は外の穢れを入れないための境とされます。神話の縄は逆で、内側にいた神をもう一度閉じこもらせないための通せんぼでした。隔てるという一点は同じです。ただ、どちら側を意識するかが神話といまで入れ替わっている。この小さなずれが、しめ縄の説明が人によって違って聞こえる理由の一つになっています。
「しめ」はどんな意味の言葉?

「しめ」は「占める」の印
『世界大百科事典』は、シメを「占め(占有)の印」と説明しています。印があることで、その場所がすでに誰かのものになっていると示す、という考え方です。神聖さより先に、まず「取ってある」という意味があったことになります。ブリタニカの事典も、シメは本来「占」「標」「印」の意で一種の占有標だったとし、魔よけとする見方と並べて紹介しているところです。
『万葉集』に出てくる「標縄」
『万葉集』には「標縄(しめなわ)」という表記が見えます。『日本国語大辞典』が初出例に挙げるのは、祝部(はふり)らが斎(いわ)う社のもみじ葉も標縄を越えて散るというのに、と詠んだ一首でした。
神域の木の葉でさえ縄を越えて散る、という言い回しです。奈良時代の人にとっても、しめ縄は「越えてはいけない線」として通じる言葉だったことがうかがえます。
人が入れない野を示す「標野」
同じ「標」の字は、皇室などが占有して一般の人の立ち入りを禁じた野「標野(しめの)」にも使われました。神の場所にも、身分の高い人の狩り場にも、同じ「しめ」が使われたことになります。しめ縄の芯にあるのは、聖と俗の区別というより「ここは誰かの領分」という線引きだと考えると、話が素直につながります。
「注連」「七五三縄」と書くのはなぜ?

「注連」は中国の葬送の風習から
「注連縄」の「注連」は、中国の風習から借りた字です。出棺のあと、死者の霊が再び家に入ってこないよう、家の入口に水で清めた縄を連ねて張った風習があったとされます。日本にもとからあった「しめ」の縄と働きが似ていたため、この字が当てられたという説明が一般的です。しめ縄に魔除けの色合いが濃く感じられるのは、この漢字の側から来た影響もあるのかもしれません。
「七五三縄」は垂らす藁の本数から
しめ縄には「七五三縄」という書き方もあります。そのうえで『日本国語大辞典』は、藁の茎を三筋・五筋・七筋と順に縒り放して垂らす形を説明しているのです。横に張った縄から、藁の束が七本・五本・三本と下がる形に由来するとされますが、由来には諸説あります。どれも奇数で、縁起のよい数をそろえたものです。
古い呼び名は「尻久米縄」
『古事記』でこの縄は「尻久米縄(しりくめなわ)」と書かれ、『日本書紀』では「端出之縄(しりくべなわ)」とされます。藁の端を切りそろえず、出したままにした縄を指す呼び名です。「くめ」の解釈は一つに決まっていません。國學院大學の注釈は「組む」とする説、「籠(こめ)」とする説、「出す」意の動詞とする説を並べています。いまのしめ縄から藁が房のように垂れているのは、この形の名残だと言われています。
※ 尻久米縄(しりくめなわ)とは、しめ縄の古い呼び名です。藁の端を切らずに残した縄のことで、上代には神聖な場所を区切る印として使われました。
作り方はふだんの縄と逆

しめ縄は「左綯い」でよる
日用品の藁縄は、右綯い(みぎない)でよるものが多数派です。右利きの人が力を入れやすい向きでもあります。ところが神社のしめ縄は、左綯い(ひだりない)でよるのが一般的です。辞典類も「左撚り」の藁を使うと説明しています。日常の手つきとわざと逆にして、特別な縄であることを作り方に刻んでいるわけです。
※ 綯う(なう)とは、藁などを何本かねじり合わせて一本の縄にすることです。ねじる向きの違いが右綯い・左綯いの別になります。
青い藁は穂が出る前に刈った稲
しめ縄の青々とした色は染めたものではありません。米を実らせる前の若い稲を刈る「青刈り」の藁を使っています。しめ縄の作り手の多くは夏の暑い時期、7月ごろに稲の様子を見て刈り込みます。刈った束は乾燥機に入れ、青さを残したまま乾かしてから細工に回すそうです。正月に玄関へ下がる縄は、真夏の田から始まっていることになります。
太さの付け方で呼び名が変わる
しめ縄には形ごとに呼び名があります。代表的なものを並べると次のとおりです。
| 呼び名 | 形 | おもに見る場所 |
|---|---|---|
| 大根注連(だいこんじめ) | 片側が太く、先へ行くほど細い | 神棚・社殿 |
| 牛蒡注連(ごぼうじめ) | 細長く、太さの差が小さい | 神棚・鳥居 |
| 前垂注連(まえだれじめ) | 横一文字の縄に藁を垂らす | 拝殿・門 |
| 輪飾り | 縄を輪にした小型のもの | 玄関・台所 |
大根注連・牛蒡注連の名は、野菜の形そのままです。家庭の正月飾りでは、最後の輪飾りがいちばん身近かもしれません。
太い側はなぜ右?出雲大社が逆の理由

一般の神社は神さまに向かって右が上位
しめ縄の太い側は綯い始め、細い側は綯い終わりです。多くの神社では、神さまに向かって右を上位、左を下位とします。
そのため上位の右に綯い始めの太い側が来て、左へ向かって細くなる張り方になります。神棚のしめ縄で「太いほうを右に」と言われるのは、この考え方に沿ったものでしょう。
出雲大社は古来「左が上位」
出雲大社は公式サイトで、古来ほかの神社とは反対に「神さまに向かって左が上位・右が下位」としてきたと説明しています。
根拠として挙げているのは二つ。御本殿に祀られる客座五神(きゃくざごしん)のうち、最も尊い天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を一番左に祀っていること。そして江戸時代の祭事の記録で、上位の供え物を向かって左、下位を右へ進めていたことです。だから注連縄も、上位の左から綯い始める形になりました。
逆向きの神社はほかにもある
同じように向きが逆になる例として、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)や愛媛の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)がよく挙げられます。島根の熊野大社などを加える解説も見られます。右か左かに全国共通の正解があるわけではなく、それぞれの神社が受け継いできた左右観で決まるということです。神社で足を止め、縄のどちら側が太いかを見るだけで、その社の作法が少し見えてきます。
日本最大級の大注連縄は重さ5トン

出雲大社神楽殿の大注連縄
「日本最大級」と紹介されるのが、出雲大社の神楽殿(かぐらでん)正面の大注連縄です。観光庁の多言語解説では、長さ13.6メートル・胴回り8メートル・重さ5.2トンとされています。この縄も社殿に向かって左から2本の縄を撚り合わせていて、左端が太く右端が細くなっています。前の章の「左が上位」が、日本最大級の縄にもそのまま表れているわけです。
2026年7月に8年ぶりのかけ替え
大注連縄は数年に一度、新しいものにかけ替えられます。同じ解説は6〜8年ごととしています。報道によれば、直近のかけ替えは2026年7月21日で、8年ぶりでした。新しい縄は島根県飯南町(いいなんちょう)の注連縄企業組合が前日に仕上げたもので、古い縄を外したあと、クレーン車でつり上げて位置を合わせたそうです。
紙垂は何を表している?

縄のありかを知らせる目印
しめ縄から下がる白い紙は紙垂(しで)と呼ばれます。細い縄一本では見落とされやすいところに、白い紙を垂らして視線を止める。境を告げる縄の役目を、もう一段はっきりさせる目印として説明されることが多いものです。
稲妻に見立てる説
あのぎざぎざの形は、稲妻を表すという説がよく紹介されます。雷雨が稲を実らせると考えられ、雷は「稲の夫(つま)」として稲妻と書かれてきました。縄を雲、垂れる藁を雨、紙垂を稲光に見立てる読み方もあります。ただしこれは形の解釈の一つで、確かな由来として定まっているわけではありません。しめ縄を蛇に見立てる説などと並ぶ、後世の読み解きの一つと受け取るのがよさそうです。
家のしめ飾りはいつ外す?

松の内は関東で7日・関西で15日
正月のしめ飾りは、年神様が家にいるとされる「松の内」が過ぎたら外します。関東ではおおむね1月7日まで、関西では小正月の1月15日までが一般的です。江戸時代の初めごろまでは全国で15日までだったとも言われます。関東だけが早まった理由には諸説あり、はっきりしたことは分かっていません。
※ 松の内(まつのうち)とは、正月飾りを飾っておく期間のことです。1月1日から7日まで(地域によっては15日まで)を指し、この間は年神様が家にとどまっているとされます。
外した飾りはどんど焼きへ
外したしめ飾りは、1月15日ごろの「どんど焼き」に持ち寄って燃やす地域が多くあります。左義長(さぎちょう)・鬼火たきなど、呼び名は土地ごとにさまざまです。煙に乗って年神様が帰っていく、と説明されることもあります。張りっぱなしの神社の縄と違い、家の縄は迎えて送るまでがひと続きの行事になっているのです。
神を戻さないための縄から、穢れを入れないための印へ。しめ縄の役目の説明は時代ごとに書き換えられてきました。それでも「ここから先は別の場所です」と掲げる働きだけは、天の石屋の場面から変わっていません。たった一本の藁縄が、いまも境の看板として掛かり続けています。
参考
- 國學院大學 古事記ビューア「天の石屋③」
- 精選版 日本国語大辞典ほか「注連縄」(コトバンク)
- 出雲大社「なぜ出雲大社の注連縄は左右が逆に張られているのですか?」
- 観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース「神楽殿」
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