「馬鹿」という字を分解すると、馬と鹿が並びます。けれど意味の上では、この二頭はどちらも無関係とされています。音を写すために選ばれただけの字だからです。
では、その音はどこから来たのでしょうか。ここが厄介なところで、国語辞典の語源欄にはいくつもの説が並び、どれにも「〜という」「〜とされる」という留保が付いています。六百年以上も使われてきた言葉なのに、出どころだけがはっきりしません。
語源説の顔ぶれ——先に外しておきたい一つを含めて

最初に、答えの列から外れているものを片づけておきます。中国の故事に結びつける「指鹿為馬(しろくいば)説」です。よく知られているぶんに有力そうに見えますが、辞典の世界では日本で生まれた俗説という扱いになっています。それを含めて、いま並んでいる説を一覧にしました。
| 説 | 中身のあらまし | 現在の扱い |
|---|---|---|
| 梵語説 | サンスクリット語の moha(痴)や mahallaka(無智)の音写。僧侶の隠語から広まったとする | 『広辞苑』など主要国語辞典が採用 |
| 破家説 | 禅宗の仏典に出る「破家」(破産)に「者」が付いた「破家者」から | 『日本国語大辞典』の語源説欄に併記 |
| はかなし説 | 古語「はかなし」(浅はかだ)の語根を強めた形 | 金田一春彦が支持したとされる |
| 馬家説 | 白居易『白氏文集』に見える没落した富家「馬家」の者から | 松本修が提唱・木田章義が支持 |
| をこ説・ぼけ説など | 古語「をこ」(痴)や「ぼけ」からの変化 | 少数説として併記される |
| 指鹿為馬説 | 秦の趙高が鹿を「馬です」と言い張った故事から | 俗説とされる |
説の数だけ見ると賑やかですが、どれも決め手を欠いたままです。以下では、まず字のほうから見ていきます。
「馬」も「鹿」も、意味では選ばれていない

この言葉を漢字で書くとき、「馬鹿」は選択肢の一つにすぎませんでした。室町時代の辞書を開くと、同じ音に別の字が何通りも当てられています。
室町の辞書には表記が四つ並んでいる
『文明本節用集』の一行
室町時代中期の辞書『文明本節用集』(ぶんめいぼんせつようしゅう)には、こう記されています。「馬鹿 或作母嫁馬嫁破家 共狼藉之義也」。馬鹿と書くこともあるが、母嫁・馬嫁・破家とも書く、いずれも狼藉の意味だ——という短い注記です。
節用集は、当時すでに使われていた書き方を集めた辞書です。編者が思いつきで四通りの表記を発明したとは考えにくく、実際に四通りが流通していた証しと読めます。
母・嫁・破・家——動物ですらない字
並んだ四つを見比べると、共通点は意味ではなく音のほうにあります。「母嫁」に母親も嫁も関係なく、「破家」に家を壊す動作は含まれません。共通しているのは「ばか」と読めることだけ。ここに「馬鹿」が混じっているのですから、馬と鹿だけを特別扱いする理由がありません。
借字とは、音だけを借りる書き方
意味を捨てて音を取る
漢字には、意味で当てる使い方と、音だけを当てる使い方があります。後者が借字(しゃくじ)です。「亜米利加」の亜も米も加も、あの国の性質を説明してはいません。「巴里」の巴も里も同じこと。読みが合うから選ばれた字です。
※ 借字(しゃくじ・当て字)とは、漢字の意味を無視して読みだけを利用する表記のことです。『万葉集』の万葉仮名から近代の外国地名の表記まで、日本語の書き方に長く使われてきました。
現代の語源辞典も「当て字」と書く
この点は現代の辞典でも一致しています。『暮らしのことば新語源辞典』(講談社 2008)は「『馬鹿』は当て字」と明記し、『身近なことばの語源辞典』(小学館 2009)も同じく当て字としています。つまり「馬と鹿からどうやって愚かさが出てくるのか」という問いは、そもそも立たない問いなのです。
最初の「馬鹿者」は、愚か者ではなかった

意味のほうにも動きがあります。記録に残る最初の「馬鹿者」は、頭の出来を指す言葉ではありませんでした。
初出は南北朝の『太平記』
巻第十六に現れる一語
文献上のもっとも古い使用例は、南北朝時代に成立した軍記物『太平記』の巻第十六にある「馬鹿者」とされています。十四世紀の日本語です。鎌倉幕府の滅亡から南北朝の争乱までを全四十巻で描いた作品ですから、紙の上を歩いているのは戦のなかにいる人々でした。
「狼藉之義」=乱暴を働く者
先ほどの『文明本節用集』の注記も、意味を「狼藉之義」と書いていました。狼藉(ろうぜき)とは、無法・乱暴のこと。つまり初期の「馬鹿者」は、知能が足りない人ではなく、無法を働く乱暴者を指す言葉だったと考えられています。
いま「馬鹿」と言われて腹を立てる理由と、当時の人が腹を立てた理由は、少しずれていたわけです。
「愚か」に寄っていったのは江戸から
『好色一代男』(1682年)のあたり
現在の「愚か」に近い意味を持ちはじめるのは、江戸時代に入ってからとされます。目印としてよく挙げられるのが、井原西鶴の『好色一代男』です。天和二年(1682年)十月に大坂で刊行された浮世草子の第一号で、西鶴の処女作でもあります。
初出の十四世紀から数えて、およそ三百年。乱暴者を罵る言葉が、頭の働きを笑う言葉へ静かに移っていきました。
いまの「馬鹿」は五つの顔を持つ
意味の広がりは江戸で止まりませんでした。『デジタル大辞泉』は現代の「ばか」を五つに分けています。
| 意味 | 例 |
|---|---|
| 知能が劣り愚かなこと | 馬鹿なやつ |
| 社会的常識に欠けること | 役者馬鹿・親馬鹿 |
| つまらないこと・無益なこと | 馬鹿を言う |
| 度が過ぎること | 馬鹿に風が強い・馬鹿騒ぎ |
| 用をなさないこと | 蛇口が馬鹿で水が漏れる |
「蛇口が馬鹿になった」の馬鹿には、罵る気持ちがまるで入っていません。同じ辞典は、思いやりや愛情を込めて使う場合があることにも触れています。罵倒語としてはかなり珍しい伸縮ぶりです。
有力とされる説を、根拠ごとに見る

ここからは、実際に辞典が採っている説の中身へ入ります。前置きを一つ。語源研究では、音が似ていることを「証拠」と呼びません。音の近さに加えて、意味のつながりと広まった道筋まで揃って、はじめて説として立つ。次の三つは、そのどこかが欠けています。
梵語説——辞書がもっとも多く採る説
天野信景から新村出へ
サンスクリット語の moha(慕何。痴・迷妄の意)、あるいは mahallaka(摩訶羅。無智の意)が音を変えたもので、僧侶が隠語として使ったところから広まった——というのが梵語説です。江戸時代の国学者・天野信景が随筆『塩尻』で示し、のちに『広辞苑』の編者である新村出が支持しました。
いまも『広辞苑』『日本国語大辞典』『日本大百科全書』など、大きな辞典の語源欄はまずこの説を挙げます。辞書界の第一候補という位置です。
柳田國男の反論
ただし、この説には古くから疑いも向けられてきました。民俗学者の柳田國男は、隠語説が「隠語の顕語となる条件」を踏まえていないと指摘したとされます。僧侶の内輪の言葉が、なぜ列島のすみずみで日常語になれたのか。その道筋が説明されていない、という批判です。
音が似ていることは、それだけでは証明になりません。梵語説が第一候補でありながら定説になりきれないのは、この飛躍が埋まらないためでもあります。
破家説——室町の辞書に実物がある
家財を破るほど、から「破家者」へ
破家説は、禅宗の仏典に出る「破家」(破産すること)に「者」が付き、「家財を破るほど愚かな者」の意味になったと考えます。唱えたのは東北大学の佐藤喜代治で、『日本国語大辞典』の語源説欄にも並ぶ一つです。
表記が証拠になるという強み
この説の面白いところは、証拠が室町の辞書のなかにすでにある点です。『文明本節用集』が並べた四つの表記の一つが、まさに「破家」でした。借字だと思って読み飛ばしていた字が、実は元の姿だったのかもしれない——という筋書きになります。
一方で、初期の意味が「乱暴者」だった点との折り合いは簡単ではありません。破産と狼藉は、近いようでいて同じではないのです。
はかなし説と馬家説
「はかなし」は昔「浅はかだ」も意味した
現代語の「はかない」は、つかの間であることや頼りにならないことを指します。ところが古語の「はかなし」には「浅はかだ・愚かだ」の用法もあり、『源氏物語』若紫の巻に例が引かれます。この語根を強めた形が「ばか」だとするのが、はかなし説です。国語学者の金田一春彦が支持したとされ、日本語の内側だけで説明が付く点が強みになっています。
白居易の詩に出てくる「馬家」
もう一つ、比較的新しい説が馬家説です。白居易の詩文集『白氏文集』には、財を使い果たして没落した「馬家」が登場します。この「馬家」を平安時代の漢音で読むと「ばか」に近い音になる。そこから「馬家の者」が「ばかもの」へ縮まったという筋立てです。提唱者は松本修で、国語学者の木田章義らが支持しています。
破家説と似た「没落」の筋ですが、違いは「馬」の字が最初から入っている点にあります。当て字だと思われていた字が、実は本来の姿だった——そんな反転です。
指鹿為馬説が俗説とされる理由

いちばん有名なのに、いちばん評価が低いのがこの説です。理由は二つあります。
趙高が鹿を馬と呼んだ場面
『史記』が伝える権力の試し方
秦の始皇帝の死後、宦官の趙高(ちょうこう)が二世皇帝・胡亥(こがい)に鹿を献じ、「これは馬です」と言い張った。周囲が逆らえるかどうかを試した場面として『史記』に伝わります。ここから「指鹿為馬」という成語が生まれました。
成語の意味は「事実の歪曲」
問題は、この成語が指す中身です。指鹿為馬は、白を黒と言いくるめること、つまり事実の歪曲を意味します。愚かさではなく、ごまかしのほうを指す言葉なのです。
そして趙高は、この場面ではむしろ計算高く振る舞っています。名にふさわしいのは「馬鹿者」ではなく、腹の読めない策士でしょう。意味の芯がずれているのが一つめの理由です。
中国語に「バカ」はない
「马鹿」はアカシカのこと
二つめの理由は、中国語の側を見ると分かります。現代中国語の「马鹿」(mǎlù)は、アカシカという実在の動物を指す語です。日本語の罵り言葉とは重なりません。
愚か者を指すなら別の語を使う
中国語で愚か者を言うときは「笨蛋」(bèndàn)や「傻瓜」(shǎguā)などが使われ、「马鹿」は出てきません。故事の生まれた土地で「馬鹿=愚か者」が育っていないのに、日本だけで育ったと考えるのは無理があります。辞典類がこの説を「日本で生まれた俗説であろう」と扱うのも、そのためです。
順番が逆だった可能性はあります。すでに「ばか」という和語があり、字を当てる段になって、この故事を知る人が「馬」と「鹿」を選んだ。語源ではなく表記の由来だとすれば、話の筋は通ります。
「アホ」と「バカ」の境目を、全国に問い合わせた人がいる

語源はさておき、この言葉が列島にどう散らばっているかは徹底的に調べられました。しかも調査の出発点は、学会ではなくテレビ番組です。
1991年の全国アンケート
依頼は視聴者から届いた
1990年、大阪生まれの会社員が東京出身の妻と言い争い、朝日放送『探偵!ナイトスクープ』に依頼を出しました。関西はアホ、関東はバカと言うが、境界線はどこにあるのか。素朴な疑問でした。
番組の実地取材では、東京・静岡がバカ、名古屋と岐阜はタワケだったと紹介されています。滋賀の米原まで来ると、そこはアホでした。境界は一本の線ではなかったのです。
全市町村の教育委員会へ
ここでプロデューサーの松本修が本腰を入れます。1991年3月、日本全国すべての市町村の教育委員会にアンケートを発送し、その土地で「アホ」「バカ」に当たる言葉を尋ねました。言語学者の徳川宗賢の助言を受けながら、同年5月に「日本全国アホ・バカ分布図」が完成します。
浮かび上がった十八重の同心円
京都から外へ、古い語が押し出される
地図にすると、同じ語が京都からほぼ等しい距離の離れた土地に、飛び石のように現れました。都で新しい言葉が生まれるたび、古い言葉が外へ押し出される。柳田國男が唱えた方言周圏論の姿そのものです。
※ 方言周圏論とは、言葉が文化の中心地から波紋のように広がると考える説です。中心から等距離の地方には、古い語形が同心円状に残ることになります。
柳田のカタツムリは五重だった
柳田がカタツムリの方言で示した円は五重でした。松本らの分析では、アホ・バカ系の方言は十八重にも及ぶ円を描いたとされます。罵り言葉は入れ替わりが激しく、そのぶん地層が厚く残ったわけです。成果は『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(新潮社)にまとめられました。
ちなみに関東では「馬鹿」が軽い揶揄、「阿呆」が強い軽蔑になり、関西ではその濃淡が入れ替わる傾向があるとされます。同じ言葉なのに、刺さる深さは土地によって違う。
これだけ調べ尽くされた言葉でも、辞典の語源欄はいまも「〜という」で終わります。断定ではなく伝聞の形。あの三文字は、書き手が調べ足りなかった印ではなく、ここまでしか分かっていないという正直な線引きです。毎日のように口にされる言葉の足もとに、その線が引かれたまま残っています。
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